性欲とスピリチュアル 奇跡のコースから3


この記事は2012年2月6日に普段のブログに投稿されたものです。

『性欲とスピリチュアル 『奇跡のコース』から』2の続きです。

※『奇跡のコース』において『現実』とは神(創造主)の世界のことを言い、私たちは現実の世界でこのセカイという夢(幻覚)を『見て』いるということだそうです。

私は友達にこうお返事しました。

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でも・・・スピリチュアリズムはこのセカイの『設定』としてそうなのですよね?

前にスピリチュアリズムは「いかにこの夢を良い夢にするかというもの」だと伝えてくださっていましたが、『シルバーバーチの霊訓』や他のスピリチュアリズムの良書は無視したほうがいいものなのでしょうか?

『奇跡のコース』は来世に渡っても学ぶことになるものなのなら、死んだあとあの世(霊界)を『見る』わけだから(私は霊界に『居る』と思うのでしょう)、『ベールの彼方の生活1~4巻』を読むと、この世でどう過ごしたかとかがあの世に行ったときに影響して地獄みたいな次元のセカイを見たり、天国のようにすばらしい高次元のセカイを見たりが決まるようなので、私は死後は一時的でも霊界で天国のようなセカイを見たいなって思います。

霊界の存在たちは、このスピリチュアリズムのように考えているっていうことなんでしょう?

それとも、『奇跡のコース』を学ぶ者は、死後は聖霊さんのはからいで、霊界とは別の世界を見るということなのでしょうか・・・

ゲイリー・レナードさんの所に訪れたアセンデッドマスターのアーテンさんもパーサさんもそこのことろは何もおっしゃらなかった・・・

私は性欲に溺れることに怖れを抱いています。あと、●●●●を使ったら、今好きな人の守護霊さんに「清純な子ではない」と嫌がられてしまって、今好きな人ともっと仲良くなるように動いてもらえないのでは・・・と思っています。それもあって買うのはやめました。

守護霊さんはついていてくださるし、私が『奇跡のコース』を学んでいることで、私の守護霊さんにも今好きな人の守護霊さんにも『奇跡のコース』のことが伝わっていたらいいのですが・・・

このセカイのことは好きなようにしていいと言っても、死後はこの世での生き方に沿ったあの世(霊界)を「見る」ならやっぱりそこのところを考えて過ごしたほうがいいのかなって思うんですが・・・死後に地獄のような場所を見るのは怖いです。

男性にとって女性はエロいほうがいいみたいですけど・・・私は「エロい人」って言われるの嫌だなって思います・・・

私の返事を見て、友達がまた伝えてくれました。

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いやあ、そもそも「死なない」んです。
「死」それ自体が夢だからです。
だから、死後の世界なんてものは実在しません。
そもそも、このセカイで「生きて」はいないからです。
この世は「ない」のだから、あの世も「ない」んです。
次元なんてものもありません。
とにかく、区別ができるものは、何もかもが幻想です。

> スピリチュアリズムの良書は無視したほうがいいものなのでしょうか?

コースを本気で使おうとするなら、無視してしまって構いません。
「本気で使う」とは、つまりコースが最短最速のコースであるという特徴を、最大限に活かすということです。

最短最速とは、何が最短で最速なのかといえば、このセカイから自由になることについてです。

スピリチュアリズムとは、このセカイが「ある」という前提に基づき、このセカイは神様が創ったものであるとします。
この、全く根本的な点で、コースはスピリチュアリズムの教えとは真っ向から対立します。
スピリチュアリズムを「正しい」とすれば、コースの行き方には誤りがあることになり、コースを「正しい」とすれば、スピリチュアリズムには誤りがあることになります。

そして、コースの論理の方が、より無理が少ないと、わたしは思っています。

たとえば、コースによれば、清らかさを「求める」ことはナンセンスです。
清らかさを求めるということは、自分は穢れているという考えに基づく欲求だからです。
コースの、つまり聖霊の見方では、われわれは全く単に神の子であり、神と同じものであって、そうであるからには、われわれが穢れているはずはありません。
もし、われわれが穢れることができるとしたら、神様もまた穢れることが可能であることになります。
もちろんそんなことはありえないので、要するにわれわれもまた穢れることが不可能です。エゴがどんなに頑張って穢れようったって無理、そうは問屋が・・・聖霊さんが卸さないのです。
つまり「自分が穢れている」という考え自体が意味不明な幻想ということになりますから、清らかになるために何かしなくてはならないという考えもナンセンス、というわけです。

だからして、清らかになるための修行みたいなものも、欲求との闘いも、全部スルーして先へ進んでしまってよい、それでよいから、それにかかる手間も時間も省略節約してしまえます。

死後の世界があって、そこでどうにかなってしまうから、今ここで何かしなくてはならないか?

死後の世界はない。だからそこでどうにかなることもありえない。「そこ」自体が「ない」。
そもそも、今ここで何をしたって、そんなの夢の中での話でしかない。
夢の中でしたことが「現実」にどうやって影響するのか?
するわけがない。
「死後の世界」という「夢」に影響するだけ、「夢」は夢であって実在しない。
われわれの「現実」は、神だけがある、それだけなのだから。


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友達のお返事はまだ続きます。
長くなるので4に続きます。

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