獲らぬたぬきの皮算用です 奇跡のコースから3


この記事は2012年1月10日に普段のブログのほうに掲載した過去記事です。

『獲らぬたぬきの皮算用です』1・2の続きです。

私の返事を読んで、友達かまたコメントをくださいました。


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シオンさんがしなければならないのは、自分は人の子で身体なのか、神の子で心なのかの二者択一、それだけなのです。
ほかのことは全て幻想なので、何をどう選んでも、何の問題もありません。
次々にいろんな人生の分岐点が現れるように見えます。
しかし、それらは全て何の意味もありません。
どうせ、どれをどう選んでも一切全てが幻覚で実態は無であり、選んだ先で出てくる問題は、常に「自分は人の子で身体なのか、神の子で心なのかの二者択一」でしかないからです。

そもそも、お金というものが自分と別に存在するかというとそうではない。
このセカイは全て自分の心の中にあるわけなので、お金というものは自分の心が作り出している「設定」なのです。
シオンさんはこの幻想世界の中にいるのでは絶対にない。
この幻想世界を「見て」いるのであって、「中にいる」のではない。

>>「このセカイが幻想なんだから、奨学金返さなくていいですよ、ってことが現実なのだとしても、このセカイの幻覚を見ているうちはこのセカイの『設定』で奨学金は返さないとなのでしょう?」

奨学金返さなくていいですよということにはならないと思います。
奨学金も幻想であり、借金も幻想です。
セカイが「ない」のですから、奨学金も「ない」し、借金も「ない」。
返さなくていいというのは、「奨学金を借りた」ことが「ある」ことになります。それじゃ殺す許しになります。

この場合の「答え」というのは、各人ごとに異なるものとなるでしょう。
聖霊のカリキュラムは各人において最適となるように組まれているそうですから。
あるいは十分な稼ぎができるか、あるいは誰かが肩代わりしてくれるか、あるいは踏み倒すことによって次の必要な課題に導かれるのか。

つまり、「次々にいろんな人生の分岐点が現れるように見えます」が「それらは全て何の意味もありません」。
しかし同時に、「神の救済計画にとって、各人は常に最適の時と場所にいる」ともコースは言います。
それは、常に自分は人の子で身体なのか、神の子で心なのかの二者択一を迫られているからです。
ある分岐点を見て、その二者択一だけなのだということを思い出せるかどうか、それだけが求められていることなのです。
そして、「それらは全て何の意味もありません」だからこそ、神の子は間違わないのです。人の子は、そこに意味を見て間違える。


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このコメントを見て、私は次のように返事しました。

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でも奨学金の出世払い制度はしなくてもいいと思います。小額でも卒業後に少しずつ返していったほうがいいと思います。

本人が返済しても、他の誰かが肩代わりして返済しても、踏み倒しても、どれでも本人の選択はいいのだとしても・・・

でも・・・よくわからないです。お金も『幻想』で奨学金も『幻想』で奨学金を借りるということが『ない』ことなのに、奨学金を返済しなくてもいいということにならないっていうのが・・・よくわからない・・・

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この返事を見て友達がまたコメントしてくれました。
長くなるので4に続きます。

※「殺すゆるし」の意味については、ウィキペディアの『ACIM』の『赦し』のところをご覧ください。

ウィキペディア ACIM
http://ja.wikipedia.org/wiki/ACIM

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