『広く浅い知識』のデメリットは・・・


※この記事は2014年5月24日に柔らかい言い方にしようと書き換えを試みて、記事に愛のエネルギーを注入しています。

先週、仕事用ブログに攻撃的で挑発的なコメントがあったのです。
そのコメントは剣を繰り出しているようなエネルギーで波動が心地よくないのですぐに削除しましたが、自動的にコピーがメールに送られてきているのでメールの方はまだ削除していません。

それで私はお仕事用ブログに反論記事を3つ書いたのですが、そのうちの一つである

『『広く浅く』のデメリットは『薄っぺらい人』』

というタイトルで反論記事を書き、怒りをもって掲載しました。

『薄っぺらい人』という言葉の柔らかい言い方を考えたのですがどうにも思いつかなかったです・・・

『軽薄』は違うし、『中身の薄い人』もやっぱり違い、言い得ているのが『薄っぺらい人』意外、見つけられなかったです・・・
(´・ω・`)

バカにしていると思われるかもしれませんが、私自身は知識や情報についてはあまり知らないのでそのへんは『薄っぺらい人』だということをお断りしておきます。
(´・ω・`)

お仕事用ブログに匿名さんがした攻撃的で挑発的なコメントの中に、

「自分の気に入った著者の本だけでなく、いろいろな本を読みましょうね。
スピリチュアリティ云々はそれからです。

現時点でのスピリチュアリティ(と呼ぶのもおこがましいものですが)に関しても、果たして本当に学んでいるのですか?
他の考えや立場を排斥して、自分の信じ込んでることだけを崇拝して、そういうのは「学んでいる」とは言わないのですよ。」

という内容の発言がありました。
(原文そのまま)

「もっといろいろな本を読みましょうね。スピリチュアリティ云々はそれからです」

について私はいろいろな本を読んで『広く浅く』の情報や知識を身につける必要はないと思っていますし、ほかのことをいろいろ学んでからじゃないとスピリチュアリティを学んではいけないとは思いません。

『広く浅く』知識や情報を身につけることは多くの人がメリットとして、

「いろんな人と話を合わせられる」

と思っていると思いますが、それは同じように『広く浅く』の知識や情報を身につけている人にしか通用しないということに気づかれていますでしょうか?

その分野について『深く狭く』学んで知識や情報を身につけている人には、『浅い』知識では話は合わせられないということに気づかれていますでしょうか?

その分野を『深く』学んでいる人の話題についていこうとして、自分が知っている浅い知識で

「いかにも私はそれを知っています」

と話を合わせようとしても、『深く』学んでいる人が、

「ああ、この人はこの分野のことを知っているんだな」

とさらに深い話をしようとしてきても、『浅く』しか知識をつけていない人は話題についていけずそれについて話すことができないんです。

すると、愛の意識の高い方は、

「ああ、この人は知らないんだな」

と思ってその話題をするのをやめるだろうと思いますが、愛の意識の低い方は、

「なんだ、知ったかぶりか」

と思ったりすると思います。

『広く浅く』学んでいる人のことは普通は『情報通』とか『博識』と思われがちですが、それについて深く話すことができないため、見る人が見れば中身が『薄っぺらい人』だということを見抜かれてしまうんです。

浅い知識で、

「いかにも私はそれを知っています」

と話題を合わせようとするより、

「私はそれについて何も知りません。よかったらぜひ教えてくださいませんか?」

と言って教えてもらうほうが、その分野を『深く』学んだ人の心をくすぐり好感を持たれるだろうと思います。

それなら『広く深く』学べばいいんだと思われた方がいらしたのですが、自分に与えられている『時間』を考えると多数の分野を『深く』学ぶ時間というのが一生の中であまり得られませんので、時間的に『広く深く』学ぶことは難しいと私は思います。

私のメンターがおっしゃっていたのですが、1つの分野を研究ができるくらい学ぶのは、1日中どっぷりと勉強すれば3年ほどで知識が身につくとおっしゃっていました。

生計を立てていくためのお仕事で1日に10時間くらいは働く社会人が1日に集中して勉強できる時間は、仕事から帰宅して1~2時間が勉強できる時間だと思います。

朝の通勤電車の中では新聞やネットでニュースを知るのに時間を取るだろうと思いますし、帰りの電車では仕事でぐったり疲れて勉強どころじゃないと思います。

1日2時間程度の勉強時間で1つの分野を研究できるくらい『深く』学ぶには10年くらいかかりそうですから、25歳から勉強して85歳まで学べたとしても6つの分野までしか学べないと思います。

『広く深く』学ぶのは時間的に難しいと私は思います。

『広く浅く』学んでいる人よりも、『狭く深く』学んでいる人のほうがその分野について詳しく話せるので、人から尊敬されると私は思っています。

この世界の企業(会社)はひとつの分野を専門的に扱っていて、ひとつの分野に詳しい人が集まってその企業を運営しています。
総合総社の大企業であっても、中身はひとつの専門的な分野がいくつも集まっていて、そのひとつの分野を専門的に学んでいる人たちで商品開発をして商品提供をして会社運営をしているのだと思います。

それを考えれば、人は学びたい・関わろうと思った1つの分野を『狭く深く』専門的に学び体験を少しずつ積んでいくことで学んでいけばいいと思いますし、そういう人たちが集まってそれぞれ助け合って企業や社会・国を成り立たせていっていると私は思います。

「他の考えや立場を排斥して、自分の信じ込んでることだけを崇拝して、そういうのは「学んでいる」とは言わないのですよ。」

とおっしゃっていましたが、学ぶにはそれ相応の『時間』がないとならないので『制限』があるものですし、ひとつの分野において『賛成側』と『反対側』のどちらの考えも取り入れて『両方OK』にしていたらその分野については、

『何もできない、何もしない、何も関わらない、行動しない人』

になるだけだと私は思いますがいかがでしょうか?

その分野に関わるのであるなら、どちらか片方側の立場を選ぶことになるだろうと思いますがいかがでしょうか?

他の考えを『排斥』しているのではなく、『時間という制限』があるということと、『どちらを応援したいか』だと思います。

中立・中庸の立場ならそれには関われないし行動できないですから、この世界を成り立たせていくことのお手伝いができないということではないでしょうか?

私はこのように思っているのでいろいろな本を読んで『広く浅く』知識や情報を身につけてどんどん『薄っぺらい中身のない人』になっていくのはお断りします。

私がやりたいのは『心キラキラ活動』なのでそれについての分野を『狭く深く』学んで体験を積んでいきます。

自分が「それを学びたい」と思ったときが『それ』を学ぶときです。

私に攻撃的なコメントをして私のやっていることを『否定』して『制限』しようとした匿名さん、『他者はコントロールできない』ことを受け入れることです。

なぜなら人は自分自身だとてコントロールすることはできないのだから、別の意志を持って生きている他者をコントロールできるはずはないからです。

私に攻撃的なコメントをしてきた匿名さん、あなたがいろいろな本を読んで『広く浅く』知識と情報を身につけているのなら、あなた自身が『中身の薄っぺらい人』じゃないかどうか、ご自分自身の中身をよく見つめてみられることです。

いろいろな本を読んで『広く浅く』知識や情報を身につけることのメリットは、

「それを知らない人が先に進むきっかけになる」

ことはあります。

セッションにおいて勉強になるテレビ番組で見知った情報が役立つ場合もあるからです。

そういう点では私も勉強になるテレビ番組を見たりして普段のブログに記録していつでもその情報を見られるようにしています。

『広く浅く』のメリットもありますが、私は『深く狭く』がいいと思っているのだということをこの記事で伝えたかったのです。
これを読んだ方が『広く浅く』か『深く狭く』のどちらにメリットを感じてそれを選ぶかは自由です。
m(_ _)m

前の記事よりかは内容は柔らかく書いてみたと思っているのですが・・・
攻撃的に感じたのでしたらみなさんごめんなさい。

すべては自分の心にあるものの『投影』なので・・・
私は匿名さんのあのコメントに攻撃性や挑発や私への見下しを感じたということです。
少なくとも私を尊重しているコメントには受け取れませんでした。

そして匿名さんにはこんな攻撃的なコメントをしている暇があるのなら、あなたは健常者で社会人なのでしょうから、もっと有意義なこと・有益なこと・社会貢献のために貴重な命である時間をお使いになられたらいかがでしょうかということです。

(私は今のところ国に保護されている身なので毎日が日曜日と言っても過言ではないので時間が取れているのでこういう反論していますが、勉強することが山ほどあります)

それから匿名さん、脳は主語を理解しません。
あなたが私にした攻撃・否定・見下しの言葉を、脳はそのまま「自分が言われているのだ」と理解します。
他者の悪口を言うと脳は「自分が言われている」と理解します。
あなたは自分で自分を傷つけているということです。

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