「どこかで打ち止めしないとね」って


先日起きた攻撃に対して私が掲載した記事のことをあるカラーセラピストの方とその彼女さんに聞いていただきました。

するとカラーセラピストさんが、

「しおんさん、イイ!それすごくイイ!その姿勢すごくイイ!
(*⌒▽⌒*)b とってもイイ!やるなぁ、しおんさん!」

と言われすごい笑顔を見せていただいたので嬉しかったのですが、でも私がちょっとこのことについて思っていることを聞いていただいたら、カラーセラピストさんがこうアドバイスしてくださいました。

「うん、そうですそうです。
それで人間サンドバックにしているというのもあります。

しおんさん、世の中にはね、上げたこぶしを下ろせない人っているんですよ。
プライドだとかなんですけどね、いったん上げたこぶしを下ろすわけにいかなくなるという人がいるんです。

だからそういう人に反応しつづけて相手していたらずっと続くんですよ。
しおんさん、それ嫌でしょ。
どこかで打ち止めしないとね。」

打ち止め、つまり相手に反応しないということ、つまりこぶしを下ろすわけにいかなくなった人の愛のないコメントは削除して流して無視すること。

私が、

「愛の反対は無関心ですよね。マザー・テレサもそう言っています。
私がその人のしていることの内容に対しての記事を書いているのは相手にしているということだから愛なんですよね。
(ここでカラーセラピストさんが「そうそう。愛だね^^」と言います)

その人、私にかまって欲しいからわざわざコメントしてきたり手間のかかるメールフォームで言ってきたりしているんですよね。
ほんとに私が嫌で気持ち悪いなら自分の世界から追い出すために無視してブログにも近づかないで見に来ないものだし、わざわざコメントしたり手間のかかるメールフォームに手打ちで文字打ち込んで送信したりしませんよ。

ブログわざわざ見に来て記事読んでコメントしてきたりしているのは私にかまってほしいんですよ。

その人は私を人間サンドバックにして傷つけようと攻撃的なこと書いて私が読んで傷つくだろうとほくそ笑んでいるのかもだけど、私にわざわざ手間かけて直接コメントするのは私にかまってほしくてたまらないということなんですよ。

かまってほしくてたまらないということは私に惚れてるんですよ。
嫌い嫌いも好きのうちの部類ですよ。

そんなに私が気に入らなくて気持ち悪いとか腹立たしいと本気で思っているなら私のブログからもスピリチュアルTVからも立ち去ればいいんですよ。
立ち去って私のこと忘れて自分の世界から私を追い出せばいい。

そうすればその人は私に完全に無関心になれてその人の世界に私が存在しなくなって私もその人が私の世界からいなくなってお互い幸せになるんだから平和になってお互い万々歳でなんの問題もないんですよ。」

と言ったらカラーセラピストさんは

「その通りなんですよ。どこかで打ち止めしたほうがいいですよ。」

とのことで打ち止めすることについて納得でした。
(*^_^*)

占い師の友達が言っていました。

「私のことを知るには少なくとも私の祖父母の代まで遡らないとならないです。
でもそこまでプライベートをさらけ出して話して得することなんて私には何もない。

私のことを「本当に知っている人」から言われるなら傷つくけど、私のことを「何も知らない人」から言われたことなんて「なにも分かっていないこと」なんだから傷つく必要なんてないなって思って何を言われてもなんとも思わなくなったんです。

人間サンドバックになるのもいいかなって思いました。
(これすごい偉大な海のような愛です。こういう人を人間サンドバックにしている人はすでに人としてこの人にかなわないということです)

しおんさんのことを「本当に知っている人」はいないんですよ。
しおんさんのブログでしおんさんのごくわずかな一部分だけ見てしおんさんをわかったつもりになってあれこれ的はずれなこと言っているんですよ。

それは「本当のこと」なんかじゃないってことですよ。
聞く必要ないし、気にする必要ないです。

以前、しおんさん、私に言ってくれたでしょう。
愛ある人の言葉に意識を集中しましょう
って。
それを聞いて私は納得しました。」

そうですよね。

私はこれについて何も知りません。

これは『奇跡のコース』のゆるしのレッスンのひとつです。

目の前にあるコップすらもどのようにして存在しているのかすら私たちは知らないのですから、ましてや複雑な「その人」を本当に知ることなんてできないのです。

相手の一部分を見てわかったつもりになって自分が納得しているだけ・・・

ということを心に留めておく必要がありますね。
(*^_^*)

そうそう、脳は主語を理解しないから自分が言っていることは脳は
「自分が言われているのだ」
と理解すると何度か言っておりますが、それはつまり、

私が誰かを人間サンドバックにしているということは、私が私自身を人間サンドバックにしているのと同じ

ということでこの世界で生きるには『愛が基本』で生きたほうがいいということですね。

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