『自分ならではの個性』について思うこと


あることがきっかけで『個性』ということについて考えていて。

私は『個性』って実は無いものじゃないかって思っているんです。

なぜなら私たちは体をもって分離しているように見えているけど、意識体としてはワンネスで1つだからです。

『神の子はひとりしかいません』

とか、

『私はあなた あなたは私』

とか、スピリチュアリティで言われますが、神の子としての意識体って1つしかないんです。

それを魂やら体という『カタチ』を取って分離しているんだと、「私」と「他者」がいて「私」は「他者」とは違うんだと認識させられているだけなのが本当なんです。

私たちが思っている『個性』というのは、私はわかりやすく言うならゲームで言うキャラクターの要素の数値のことを言っているんじゃないかなぁって思います。

ゲームには詳しくないのですが、ロールプレイングゲームのキャラクターって要素のレベルいくつってあるでしょう?

戦闘力:300
攻撃性:300
リーダー力:500
優しさ:250
厳しさ:400
創造性:150
家事力:20
潔癖性:100
健康:500
読解力:300
コミュニケーション力:350
人が好き度:200
自分好き度:800
動物好き度:600

とか・・・なんかこういう『要素』のレベルの数値がゲームのキャラクターにはあったと思うんですが・・・

この、要素のレベルの『数値』の『組み合わせ』自体がその人だけのオリジナル性である『個性』で、『要素』は他者と共通しているから要素の面で見れば実は「個性はない」ってことではないかと私は思っているんです。

聖霊とイエス・キリストからのメッセージである『奇跡のコース』でイエスが言っている、

「他者はいない。すべて自分」

を理解するための例え話で私が伝えていただいたのは、

「指で空に円を描く」

というものです。

指で空に円を描くと、円の中と円の外は「同じ」ですよね。

円の外はワンネスなんだけど、円の中も実はワンネス。

で、円の線は指で描いているからその線は心の中にしかなくて幻想で、この円の線が体だということ・・・

つまり、円を人とすれば円を2つ書いたとき、自分の『心』の中では円が2つで個別な円だと思っているけど、その2つの円の中と外はまったく同じものだということ・・・

これが自分と他者なんですね。
みんな自分と同じ。

『神の子はひとりしかいない』

ということなんです。

『要素』はみんな同じものを多かれ少なかれ持っているからその要素のレベルの『数値』の組み合わせが似ていれば自分とすごく似ていると感じるわけです。

数値というのをパーセンテージ(%)で考えてもいいかもですね。

「自分だけの個性を見つける」

というの、分離した個性って要素のレベルの数値の違いでしかないので、『自分だけの個性』ってそんなの本当はありませんから、『自分だけの個性』『自分ならではの個性』にこだわってそれを求めると苦悩の原因になるだろうなと思っていたら・・・

NHKの『ラストデイズ』でオダギリジョーさんが勝新太郎さんのことを知っていく番組の放送をやっていて、どうも勝新太郎さんも『自分ならではの個性』を求めたことで苦悩し悲劇な人生を歩んだとのことでした。

人が悲劇だと言う苦悩の人生を歩んだ勝新太郎さんがその苦悩をどう思っていたのかは今となってはわかりませんが・・・

『自分ならではの個性』をなぜ自分は求めるのか、他者と違っていなければ嫌だと思うその根本原因はなにかということなんです。

『自分ならではの個性』って平安で幸福なワンネスからの『分離』なわけです。

分離しているということは他者は自分にとって『得体の知れない存在』であるということです。

『得体の知れない存在』であるということはどういうことかというと、

『相手が何を考えているかわからない』
『相手がどんな存在かわからない』
『相手を理解することは実はできない』

ということで、その為、自分は必ず相手に『恐れを抱く』ことになるのだということ、相手が自分にとって『恐怖である』ということです。

相手が恐怖とならないというのは、相手が『自分と同じ神の子』だということが『わかっている』なら恐怖となりませんが、それは悟りのレベル、それもキネシオロジーテストでの意識レベル1000かそれに近い数値の聖者のレベルだろうと思います。

『自分ならではの個性』に固執して大事にしてわざわざ追い求めて探さなくても、

「今この瞬間のそのままの私」

でいればいいんです。

『要素』はどうしてもみんな同じものを持っているけど、レベルの『数値』はオリジナルの組み合わせだからあなただけだということ。

自分がやってみたいことをやって体験して学んで成長すればいいだけなんです。
そうすれば『レベルの数値の組み合わせ』はどんどん変わるんです。
それこそが『自分ならではの個性』ではないでしょうか?

『要素』の『オリジナリティ』を求めてもダメですよ。
その『要素』を持つことを決めるのは「ほんとうのわたし」(ワンネスのわたし)だからひとつの『要素』を「ほんとうのわたし」が持つことを決めたら私たちの意識体はワンネスだからみんなが共有しちゃうんだと思います。
(*⌒▽⌒*)

まずは知識だけでも意識体においてはワンネスだから「他者はいない。すべて自分」ということについて霊的知識を知ってそれを認め受け入れられるといいですね♪
(*゚ ▽ ゚*)

私はなんとなく、『自分ならではの個性』が欲しいと思うのって、『選民意識』なのかなって思っていたりします。

関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Post a comment