「自殺したい」に「どうぞ」と答える人は責任と覚悟を持って発言していますか?


『「自殺したい」に「どうぞ」とはどういうことでしょう』の1~5を掲載しましたが、一般の方でもヒーラー(鑑定師、占い師、霊能者など心の癒し手の方々)さんでも、「自殺したい」「死にたい」と言う人に対して、

「それがあなたにとって最善なことなら、ご自由にどうぞ」

と言うのは、自分がその発言にきちんと霊的責任と現実的に責任を負う覚悟があるかどうかをきちんと考えていただきたいのです。

まず、この世界で生きるにあたって、スピリチュアリティは『神が許した範囲内での自由意志の尊重』の元に『自己責任』で生きることになっていますが、「自殺したい」と言った相手に「それがあなたの最善ならご自由にどうぞ」と言って相手がその言葉で自殺を決意して実行に至り成功した場合、あなたには霊的責任が課されますし、現実的にも責任を負わせられる場合があります。

あなたの「自殺があなたにとって最善ならご自由にどうぞ」と発言したことで相手が本当に自殺を決意して実行し成功した場合、遺書に

「どこどこの誰々さんにこのように言われたので自殺を決意しました。」

と書かれている場合、警察が捜査しますから事情聴取を受けることになり、責任がないとされれば釈放されますが遺族に恨まれて裁判を起こされれば、敗訴すれば裁判にかかった費用、慰謝料、裁判にかかった費用、裁判所が刑を与えれば刑務所での服役、服役をまぬがれたいなら罰金の支払いがあり、前科者となるので、前科者として人生を生きる覚悟と、霊的責任を負う覚悟がなければ、

「自殺はそれがあなたに最善ならご自由にどうぞ」

と発言することはしないのが当たり前のことですし、スピリチュアリティにおいて自殺をする自由が認められているのだとしても、現実の法的責任を無視し、自分の発言に対する責任を負う覚悟もしないで「自殺が最善ならどうぞ」と言うのは違うと思います。

また、地上的命の大切さを知っている上でそう相手に言っているのかということ、自分はどういう立場で「自殺があなたの最善ならご自由にどうぞ」と言っているのか、一般的な人はもちろんのこと、特にヒーラーはプロであってもアマチュアであっても、有料セッションであっても無料セッションであっても、今一度、それが相手に言っていい発言なのかどうか、霊的視点からと現実的視点からよく考える必要があると思いますがいかがでしょうか?

あなたは前科者として生きる御覚悟はありますか?

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