自分が貧しくて食べられなくて飢えていてもそう言えるんでしょうか?


地球をすばらしいところとして見るスピリチュアリティの人たちがいます。

あちらの世界(あの世)から見ると私たちがしたいと思ったことができる世界だとのことです。

飢餓国で飢えて生きている人たちのことを、

「そこに生まれてきたくて生まれているんですよ。わかっていてやっているの。」

と言ったり、飢餓国の人々を救済するために活動している人たちを、

「救済される側と救済する側という役をやっているゲームなんですよ」

というようなことを言ったり。

あちら(あの世)の世界から見ればそうなのかもしれません。

でも、もし自分が飢餓国、貧国で今日の食事も食べられず飢えていたら、そんなこと言えるんですか?

って私は言いたいです。

自分が豊かな国に生きる優位の立場だからそう言えるんだと、私は思います。

飢餓国で飢えている人たちに、そう言えるんですか?

私はそんなスピリチュアリティの人たちに疑問を持っています。

私自身は、この国に生きていますが、ワーキングプアだった頃に3日ご飯が食べられないことなどざらにあったし、お金も無くて食べるものがなくて5日間水だけで残業もこなしていて、5か目にふっと目をあげると眩暈がするような状況になって兼業農家の友達に、

「お茶碗1杯でいいからお米をわけてください」

ってお願いして小さなレジ袋1つ分のお米を分けてもらったりして、食べたくても食べられないことを体験していますから、それよりもっとひどい飢餓国の方たちの苦しさ辛さはいかばかりかと思います。

たとえあの世側から見てゲームをしているのであっても、それを言うのはいかがなものか?と思います。

自分が食べることもできなくて飢えている上で、

「これはゲームなんですよ。私はこれを楽しむために生まれてきて、今、飢えて生きるのを楽しんでいるの。」

って言うのでしたらご立派だと思いますよ。

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