苫米地さんの悟りについての動画を見て・・・


悟りについて検索をかけたら、苫米地英人さんの悟りについての解説の動画がすごいという記載が引っかかり、さっそくユーチューブで検索をかけてみて、

1/8【仏教】釈迦の悟った内容-苫米地英人
https://youtu.be/6U9EURzHXQg

8/8まで8つこのシリーズの動画があるのですが、頭が良くない私でもわかりやすかったです。

そうか、お釈迦さまの出家はシャカ国で王子様がバラモンの真似事をしているから、

「うちの王様の息子である王子様がバラモンの真似事をしているのだからいいか」

と許されて、本来ならカースト制の関係で殺されてしまうところを殺されなかったのだそうです。

それもあって王家の身分に生まれていらしたのかしら・・・

で、スピリチュアルTVに書き込んでいらっしゃる悟っていらっしゃる仏教系の方が、苫米地氏の言っているお釈迦さまの悟りは4大なんとかの『智』ですとか、そんな感じのことをコメントでおっしゃっていて。

たぶん、お釈迦さまの悟りのうちの1つを言っているんだよ~っておっしゃりたかったのかもしれません。

苫米地さんは僧籍のある脳機能学者さんだそうですが、苫米地さんご自身は悟りを得られているのか、それとも仏教の経典など文献を読み漁って書かれていることを読んだだけで天才であるがゆえに理解したから悟りを語れるのか、そのことがわからないのですが・・・

お釈迦さまは死後の世界と霊を完全否定したそうですが、でもお釈迦さまって弟さんを神通力で天界へ連れて行ったりしたのですよね?

天界へ連れて行ったということは、霊体になって連れて行ったのではないのかしら?
肉体のまま天界へ連れて行ったのかしら?
神通力で肉体の振動数を上げて物質的肉体を波動的肉体に一時次元を上げて天界に連れて行ったのかしら???

お釈迦さまは、

「カルマの法則とかそういう考え方はやめようぜ」

っておっしゃったそうなのですが、そういう法則がこのセカイに「無い」からそう言ったのではなくて、お話の設定としては「ある」けど

「そういう物の見方やめようぜ」

っていう意味でおっしゃったのかしら・・・

聖霊とイエス・キリストからのメッセージとされている『奇跡のコース』を先に学んで理解している方からお伝えいただいたことから考えるに、

『聖霊の視点と物の考え方』でこのセカイを見た時、

「このセカイは幻想で「無い」。
なのでそういうスピリチュアルの法則も「無い」。
このセカイというお話の『設定』なだけである。」

ということだったけれど、でも、

「このセカイという夢の中のお話(幻想)を『見て』いる限り、その『設定』としての影響は受ける。」

というようなことだったと思いますが、このセカイ自体が現実である神の国では『無い』ので「無い」と「見る」わけなんだそうです。

というようなことをイエスさまも『奇跡のコース』でおっしゃっているらしいので、お釈迦さまも『仏性の物の見方と考え方』ができるお方だったので、『奇跡のコース』の言っていることと同じこの『聖霊の視点と物の考え方』でこのセカイ見ようぜとおっしゃっていたのだと思いますが・・・

夢の中のお話の『設定』の影響を受けるのに、それを『無い』としようぜ、というのはどう考えたらいいのだろう・・・

今の私が、苦しい出来事で苦しんでいたとして、

「これは今、こういう出来事が起こっただけで、それで私は苦しんでいるだけで、前世や過去世を含む過去のことは関係ない。私の物の見方を変えて行動に移せばいいだけ」

として考え対処すればいいだけなのだろうか?

そしてスピリチュアルTVで教えていただいたことで、聖者マスターゲートさんがおっしゃっていたことだそうなのですが、『悟り』を得てしまうと前世・過去世のカルマなどは、例えば船を早いスピードで進めていると波の影響を受けない(だったかな?)というのと同じでカルマとか関係なくなるとかそんなことをおっしゃていたような・・・

波が押し寄せてきても船が早いスピードで進むからそこにある波は船に当たらないんだということだそうで・・・

うーん、悟りを得ていない人に

「仏性の物の見方で見ようぜ!」

と言ってそれが通用するんだろうか・・・?

ということを考えているところなのでした。

『奇跡のコース』ではそういう『聖霊の視点と物の考え方』ができるようになるために、テキストとワークブックと教師のためのマニュアルがあって、『聖霊の物の見方と考え方』ができるようになる365のゆるしのレッスンをするんですよね。

あ~、サボっているからわからないんだな~
そろそろワークブックのレッスン208をやろうかな?

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