宇宙の真理と真実は1つで、個人の世界観は宇宙の真理と真実ではありません


ある人たちに、大和田菜穂さんがおっしゃっている、

「このセカイ無いんですよ。
幻想なんです。」

とおっしゃっているのがどうしてなのかを説明するために、ある人からお伝えいただいた聖霊とイエス・キリストからのメッセージとされている『奇跡のコース』で、イエスが伝えてきているこのセカイのことについてざっと話したら、私はそう思わない、人の世界観はそれぞれだし・・・とおっしゃった方がいらしたので、これはそう思う方は多そうなので伝えておかなくてはと書くことにしました。

なのでまず、このセカイが幻想である、このセカイは無いんだということについて説明するために、過去に掲載した『奇跡のコースについてのおおまかな説明』の記事の全文を掲載した上で、聖者が気づいているこの宇宙の真理と真実は1つなのだという話を少し書きます。

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これから何度も私の日記で話題に出てくるであろう、『奇跡のコース(ア・コース・イン・ミラクルズ。表記はACIMと略されます)』について書いておきます。

これは私自身が奇跡のコースのメッセージについて、「あっ、言っていることわかっちゃった!」と実感でわかっていることではなく、奇跡のコースを先に学んで理解して、「あっ、イエス・キリストの言っていることわかっちゃった!」と実感でわかった方から、「イエスはこういうことを言っているんだよ」と先に教えていただいた内容をまとめたもので、その方からOKが出た内容になります。

私自身が「あっ!わかっちゃった!」と実感でわかった上で語っているものではないので、「自分でわかっていないこと語るなよ」と思う方には申し訳ないのですが、書いていることはお伝えくださったその方からOKが出ています。

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『奇跡のコース』とは、聖霊さんとイエス・キリストからもたらされたとされているメッセージで、1965年から1975年にかけて、ヘレン・シャックマンさんという一種の霊能力のある女性を通じてイエス・キリストと聖霊からの『内なる声』によって地上にもたらされました。

彼女はそのメッセージを速記でノートに書きとめ、さらに彼女の上司であるウィリアム(ビル)・セットフォード氏が協力してくださるようになってからは、ヘレン・シャックマンさんが口頭で語り、ウィリアム・(ビル)・セットフォード氏がタイプライターで紙に書き起こしました。
その紙をファイルにまとめたことで書籍化するに至りました。
しかし、誰から来たメッセージであるかはさほど重要なことではないそうです。

『奇跡のコース』は、テキストとワークブックと教師用マニュアルの3部で構成されていて、この3部でひとつとなります。

さて、次に書くことは『奇跡のコース』のおおまかなことについて、『奇跡のコース』を先に学んでいる友達から教えていただいたことです。

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真実の私たちは、神様の世界にいるひとつの大きな神の子という愛の光で、そして眠っています。
そして夢を見ています。
夢の中でこのセカイ(この世とあの世)を作って、夢の中のセカイに逃げ込んでいるのです。

神様の世界にいるひとつの大きな光である本当のわたし(あなたにとっても本当のあなた)は、ある日、

「もしも神様がいなかったら?」

と考えました。
神様を疑ってしまったのです。
そしてとてつもない恐怖を感じ罪悪感を持ちました。

「神様を疑うなんて不届き千万。
こんなことをした俺たちを神様は許さないだろう。
一緒にどこかに逃げないと神様に消されてしまうぞ」

そう考えた私たちは、エゴ(神と分離したと勘違いしたことからくる怖れと考えていいです)にそそのかされて眠りにつきます。
眠りについて夢の中のセカイに逃げ込みました。

私たちが「もしも神様がいなかったら?」と考えたのは夢の中のことで、現実(神様の世界)では起きていなかったことで、現実ではなかったのです。

私たちは神様を恐れ、とてつもない罪悪感を持ち続けていて、神様から逃げるためにエゴの台本を選び、この世とあの世(霊界)というセカイを作っていろんな体験をすることで神様から気を反らし、神様から逃げ続けているのです。

『奇跡のコース』は聖霊さんの近くにいるイエスさまが、私たちにこのセカイから解放されるために、

「聖霊の台本を選びなさい」

とヘレン・シャックマンさんを通じてもたらしたメッセージです。

神様はこのセカイ(この世とあの世)のことを知りません。
このセカイは幻想で、夢の中のセカイです。

綺麗に言えば夢の中のセカイなんですが、もっとはっきりと言うと、私たちは神の国で幻覚を見始め、本物の統合失調症になってしまったのです。

私たちはお話のセカイに入り込んでいるようなものです。
このセカイは現実ではなく、幻想なのでこのセカイは存在していないのです。

私たちがレム睡眠で夢を見ているのと同じです。
レム睡眠状態のときに私たちは夢の中のセカイにいて、夢の中のセカイを現実だと思って過ごしていますが、朝になって目が覚めると

「なんだ、夢だったのか」

と思うのと同じです。

神様はこのセカイの『外』にいるのです。
便宜上わかりやすく『外』と言っておきます。

神様はこのセカイのことを知らないのです。
人間の夢の中は神様でも覗けません。
私たちが他の人のレム睡眠で見る夢を見ることができないのと同じです。

私が、

「最高神さま、今日はこんなことがありました。
私はこれについてこう思いました。
もっとこうだったらいいのにと思います。
これこれについてこうなりますようお計らいください。
云々・・・」

と神様に話しかけて祈っている思念波は、ハイアーセルフを通じて神さまに届いています。
でも神様は、

「神の子はこういう夢を見ているようだ」

と思っているのです。

神様の世界で目覚めるとき、私たちはこのセカイ(この世とあの世)で体験したことをすべて手放します。
神様の世界で目覚めると、私たちは神さまから愛されっぱなしで神様を愛しっぱなしなのです。
神様の世界は100%の幸せの世界で、苦しみなどというものはまったく存在しません。

神様は眠ってしまった私たちの耳元に優しく息を吹きかけて目覚めさせるために聖霊を贈りました。

怖い夢を見ている人をいきなり揺すり起こすと、人は心臓バクバクで怖くてしかたないのと同じように、私たちはこのセカイという怖ろしい悪夢を見ているので、聖霊により見ている夢を幸せな夢にすることで神様の世界で目覚める準備をすることができ、そのためにイエスさまから『奇跡のコース』としてメッセージがもたらされました。

神さまは私たちが幻覚を見るのをやめさせて、神の国という現実で目をさましてほしい、正気に戻ってほしいのです。
そのため、『奇跡のコース』をイエスさまとヘレン・シャックマンさんを通じて地上にもたらしました。

聖霊とは、このセカイという幻覚を見ている私達を正気に戻そうとしてお創りになって私たちの心の中に置いてくださった、

「神の考え」であり、
「神の計画」であり、
「神の延長上にある神とひとつで同じもの」である、
「私たちの正気の部分」であり、
「神とってはないこの幻覚世界と神の国という『現実』の両方を認識できる」、
「ホーリースピリット」

です。

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『奇跡のコース』のおおまかな説明はこのように説明していただきました。

さて、先日、読み終えたと日記に書いたケネス・ワープニック氏の『奇跡講座入門』(中央アート出版)は、『奇跡のコース』についてのワープニック氏の一日講義の内容を文章化したもので、『奇跡のコース』についての説明がされている本です。もっと『奇跡のコース』が何を言っているのかの説明がされています。

では、このセカイという夢の中のセカイから解放されるためにはどうしたらいいかというのは、『奇跡のコース』のテキストとワークブックと教師用マニュアルを繰り返し読み、聖霊の台本を選んで聖霊の視点で物事を見るよう、実践(練習)して『奇跡のコース』の学びを進める必要があります。

テキストは現在、公式本と大内博さん訳の非公式のものと、ワークブックの公式本、教師用マニュアルの公式本が発売されています。

私たちには神を失ってしまったと勘違いしているための『欠乏』という感覚があり、その欠乏は神さまから分離したと思っているから感じるもので、その欠乏は神様でなければ満たすことはできません。

神様から分離したと思っているため私たちは恐れ、または罪悪感を持っていて、その罪悪感は怖ろしくて見ることもできないものなので、その罪悪感を他人に投影しています。

罪悪感を他人に投影することによって、人に対して憎悪して攻撃したり、欠乏を満たす為に愛しているという勘違いをし、自分が満たされていないと感じると攻撃したりするそうです。

聖霊は私たちが罪悪感を他人に投影しているのを利用して、それを赦すことができるようにし、それによって自分を赦すということを手伝ってくれます。

『奇跡のコース』にはどうやってそれをすればいいのか、この世界のことの真実についても書かれているそうです。
(テキストは900ページを超えるもので、私はまだテキストをすべて読むことができていないし実感で理解できていないためこういう書き方になります)

『奇跡のコース』のテキストは、1章から4章までに大事なことが書かれているので、1章~4章までを理解しないうちは、先に読み進めると誤解が生じるばかりだそうです。

ですがどうしても覚えられなくて理解できなくて先に進めない状態になってしまったのなら、先に読み勧めてもかまわないそうです。

ワークブックには1日1レッスンの365の赦しのレッスンが書かれています。
レッスンはなぜこういうことが書いてあるのかというのが、レッスンが進むにつれわかってくるそうです。

また、ワークブックはある程度までレッスンが進むと、テキストを全部読んでいないとなぜこういうレッスンがあるのかを理解できないそうです。

また、『奇跡のコース』のテキストの内容は、ワークブックのレッスンを続けて練習しているうちに、テキストの内容が理解できる『体験』をするようになるため、テキストの言っていることが理解できるようになってくるそうです。

教師用マニュアルには『奇跡のコース』について生じる疑問に対してのQ&Aも書かれているそうです。


私はとても苦しい人生を歩んできたので、このセカイ(この世とあの世)と言う悪夢から解放されたいし、私の愛する神様のもとに行きたいので、『奇跡のコース』を学び始めました。

また、どう考えてもこのセカイはおかしい、変だ、神さまがこんなセカイを創るはずがない、と思っていたので、このセカイを神さまはお創りになっていないと聞いてホッとして、このセカイから抜け出せるようになるために『奇跡のコース』を学び始めました。

『奇跡のコース』を学ぶなら、ケネス・ワープニック博士の『奇跡講座入門』と、ゲイリー・レナード氏の『神の使者』も繰り返し読むことを提案します。

なお、他の体系(スピリチュアリズム、宗教思想、哲学など)を『奇跡のコース』に組み込むことはできないそうです。
なぜなら他の体系はこのセカイが実在しているものとしているので、このセカイを実在していない、幻想としている『奇跡のコース』を組み込むことができません。

しかし、『奇跡のコース』に他の体系(スピリチュアリズム、宗教思想、哲学など)を組み込むことはできるそうです。
その場合は『奇跡のコース』に沿った解釈となるそうです。

『奇跡のコース』を学んでいるからといって、スピリチュアリズムを否定する必要はないそうです。
しかしスピリチュアリズムはこの夢の中のセカイをいかに幸せな夢にするかというもので、どんどん夢の中のセカイに入り込んでしまうものだということをお伝えいただきました。

『奇跡のコース』を学ぶとスピリチュアリズムは『奇跡のコース』に沿った解釈のしかたをすることになるそうです。

神様がこのセカイでなにかをすることはありません、とのことです。
神様はこのセカイの『外』にいますからこのセカイのことを知りません。
実在する神様は実在しないこのセカイをどうすることもできません。
このセカイの中に神様の証拠を探さないでくださいとのことです。

神様は私たちに『聖霊』を贈りました。
聖霊の台本を選び、聖霊に助けを求め、聖霊の視点でこのセカイのことを見て、聖霊の視点でこのセカイのことを考えられるようになる、それが『奇跡のコース』です。

聖霊と100%同じものの見方と考え方ができるようになったら、もうこのセカイ(この世とあの世)からはおさらばし、聖霊と一体となり(すでに私たちは聖霊とひとつなのですが)、この世とあの世というセカイ、宇宙はなくなり、私たちが一人残らず聖霊と一体となったら、神様が最後の一歩を踏み出してくださるそうです。
(おそらく神様が眠っている私たちを優しく起こしてくださるということでしょう)

あなたがなにかによって、またこの記事によって『奇跡のコース』を知ることになったのも、台本どおりです。
あなたは『奇跡のコース』の学びをすると決めて生まれてきたのかもしれません。

さぁ、あなたも『奇跡のコース』に出会いました。
もう旅は始まっています。
このセカイ(この世とあの世)を抜け出す大冒険の始まりです。
どうせなら楽しんでしまいましょう。

『奇跡のコース』を学ぶと決めたなら、

「聖霊さん、私はエゴの台本を選ぶことはやめ、聖霊さんの台本を選びます」

と宣言されて、これからは困ったことがあったら聖霊さんに助けを求めるようにするといいです。

『奇跡のコース』を新たな宗教かと疑問を持つ方もいるようですが、イエス・キリストはキリスト教を作ってはいず、キリスト教という宗教のことをとても困っていらっしゃいます。
それは『奇跡のコース』を学べばおのずとわかるそうです。

『奇跡のコース』のメッセージにおいて、イエスさまは聖書の言葉を引用され、聖書の言葉をイエスさま自身が、

「これはこういう意味ですよ」

と訂正しています。
聖書の言葉が引用されているということもあり、また、『神』『聖霊』という存在についても語っているので、テキストは宗教的要素のあるものと『奇跡講座入門』でケネス・ワープニック博士がおっしゃっていますが、『奇跡のコース』はブッダ(お釈迦様)の『真理のことば』と内容はほぼ同じだそうです。

ブッダの『真理のことば』は日本に伝えられている仏教ではなく、『釈迦の仏教』と言われるもので、釈迦の仏教をほぼそのまま伝えているのが『上座部仏教』だそうです。
このブッダの『真理のことば』も自分の中の『仏心』、つまりそれは『聖霊』『ハイアーセルフ』のことなのですが、ブッダは「『仏心』でこのセカイのヒト・コト・モノを見なさい、この世は空(くう)ですよ」とおっしゃっていて、この世が『空』とはこの世が『幻想』『夢』だとおっしゃっているということです。

聖霊さんとイエスさまもこの世界は『幻想』『夢』だとおっしゃっていますが、『真理のことば』は2500年前のもので、『奇跡のコース』は1965~1975年に伝えられた最新式のものです。
『真理のことば』よりさらに真実を語っているというか、詳しく突っ込んでいるといったほうがいいと思います。

どこが違うかというと、ブッダはこのセカイが「在る」としたのに対し、イエスは「幻覚なので幻想でこのセカイは無い。」とはっきり言ったのの違いがあるだけだそうです。

ブッダもイエスさまも、かつて地上で生きたとき、このセカイの宇宙という幻想にだまされなかったのです。

『真理のことば』と『奇跡のコース』のどちらを学んでもほぼ同じなので、どちらを選ぶかはあなた次第です。

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さて、この内容を読んで、

「私はこのセカイはこういうものだと思う。
人のセカイはそれぞれだし、どう思うかは自由である」

と思った方もいらっしゃると思います。

でも私が聖者の言葉を学んでいなくても自ずと「わかって」いることは、

「宇宙の真理と真実は1つである」

ということです。

聖者たちはそのたった1つの宇宙の真理と真実に気づいた方たちであるため、その宇宙の真理と真実を語るときに、使う単語などの表現方法は違っていても、みんなこのセカイについて言ってる内容は「同じ」ことをおっしゃっているはずです。

あなたが、

「このセカイについて自分はこう思う」

というものは、あなたの顕在意識の中だけの『思想』に過ぎず、宇宙の真理でも真実でもありません。

あなたのセカイという個のセカイの中では「そうだと思っている」というだけの話で『自由発想の思想』『自由世界観』に過ぎず、宇宙の真理でも真実でもないのです。

それぞれすべての個人のこのセカイについて思っている『思想』が宇宙の真理であり真実であったとしたら、この宇宙はバランスを取れず統制がとれず、運営していくことができず、宇宙として成り立つことができないだろうと思います。

宇宙の真理と真実が1つだからこそ、個人の自由思想の世界観に影響されず、この宇宙が成り立つのではないでしょうか。

あなたがこのセカイという宇宙をどのように自由に『思想』してその通りの現実が起こったとしても、それはあなたのセカイの中では起きたとしても、たった1つの宇宙の真理と真実は変わらないのです。

あなたが神の言葉を伝える聖霊とイエスによってもたらされたこの宇宙の真実と真理を、自分の個人の主観による価値観でそうだと思っている『世界観』のほうが正しいのだ、と思っているのだとしても、それは真実のたった1つの宇宙の真理でも真実でもないのです。

思想は自由ですからあなたがどういう世界観を持つかはあなたの自由ですが、あなたが『自分の世界観が正しいし真実である』としているのであれば、あなたは、

「私は神の言葉に耳を傾けません。
神の言うことは聞きません。
私は神に反抗し反逆します。
私の上に君臨する神なんていません。
私がいちばんえらいのです。」

としているということになり、かなり傲慢で反逆児であるということだと思います。

私は、たった1つの宇宙の真理と真実に気づけていないからこそ、神ご自身によって選ばれた神の代理人であるイエスさまと聖霊さんの言葉に耳を傾けますし、私の上には天の御父が君臨していて、私は神の子であり、私の自由思想の主観と価値観による世界観なぞ宇宙の真理と真実からすればまったくの勘違いであり、真理でも真実でもないと思っているので、だからこそ聖者の気づいた真理と真実を知りたいとスピリチュアリティを学び、『奇跡のコース』をサボる時はとことんサボりながらマイペースにゆっくりと学んでいるのです。

あなたという『個』の生きている宇宙、セカイというのはあります。
それはあなただけがこの地球上で体験し、他の人は体験しません。
そういう意味で、あなたの自由思想の世界観というのはあるでしょう。

ですが、この宇宙の真理と真実は1つです。
聖者はそれに気づき知った人たちなのです。

この宇宙の真理と真実に気づかず知ることができていないうちは、このセカイに、エゴ(自我)にすっかりだまされているということになりますね。

このセカイで自由に遊んでいたければ、このセカイに飽きてこのセカイがいらなくなるまで遊べばいいです。

いずれこのセカイに飽きたときか、このセカイがなんか変だと気づいたときに、このセカイはいらないと心から思い、そしてこのセカイいらないと思ったのにこのセカイから抜け出せないことに気づいて、どういうことなんだろうと真実と真理を知りたくなり、宇宙の真理と真実を学びエゴから離れる道に進むことでしょう。

私はまだ宇宙の真実と真理に気づいていませんが、

「宇宙の真理と真実は1つである」

これは間違っていないと思います。

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