今まで神さまに対して利己的だったのだと気づかされました;


映画『サン・オブ・ゴッド』というイエスさまの人生、つまり聖書の話の映画の中で、イエスさまが2つのパンと3匹のお魚を5000人に分け与えたという聖書の奇跡の話のシーンが出てくるのです。

私はプロテスタントの文庫本の聖書を途中まで読んでいるところなんですが、その聖書にはその2つのパンと3匹のお魚の奇跡について、たしかこんな感じの文章が書いてありました。

「イエスは2つのパンと3匹の魚に祈りを捧げた。するとその場にいた人たちすべてに分け与えられたのだ」
(聖書の文章そのままではありません)

たしかこんな感じのすごく簡潔な文章で書かれていたように思います。

それで私はその文章から、イエスさまはどうやって2つのパンと2匹のお魚を5000人に分け与えたのかと思った時、1つのパンを手にとって神への祈りを捧げてパンを祝福し、パンをちぎって与えたんだと思っていたのです。

で、お魚はどう分け与えたのかわからなくて、お魚を手に持って祈りを捧げたら手の中で何匹も増えたのかなぁなんて思っていたのです。

映画では、パンとお魚はカゴに入っていました。
そのカゴを高く持ち上げ神を称える祈りの言葉を言って、カゴをおろすとお魚がたくさんびちびちと入っているように描写されていました。

私が考えていた2つのパンと3匹のお魚に対する神さまへの祈りは、神さまが我々を祝福してくださり、このパンとお魚を祝福して恵みを与えてくださいます的なイエスさまオリジナルの祈りをイメージしていました。

けれど、お魚の入ったカゴを高く持ち上げて、神さまを『称える』祈りの言葉を唱えて、カゴをおろす・・・

という動きは、聖書にそのように書かれていたのか、それとも脚本家さんがこのようにすれば魅せるシーンになるとインスピレーションな想像力でそうしたのかわからないのですが、私にとってはこのシーンは意表をつくものでした。

神さまを『称える』祈りをするなんて、私には思いつきもしなかったのです。

そう考えると、普段、神棚に手を合わせて感謝のお祈りをする時、私は神さまに

「いつもありがとうございます」

とお伝えしていたけれど、神さまに、

「あなたはとても素晴らしい方です。これこれこのように素晴らしい方で・・・」

みたいな神さまを『尊敬し称える』祈りの言葉は思いつきもしなくて、今までいかに利己的な感謝をしていたのかを思い知らされるという、2つのパンとお魚の奇跡のシーンでした。

神さまを称える祈りの言葉が出てこなかったのは、私が神さまがどんな方がよくは知らないからなのでしょうか?

私は神さまがとてもとてもお優しい方だとなぜかすごく思っているだけなのです・・・

今、神さまに手を合わせて謝らせていただきました・・・

「私は神さまがどれほどに偉大な方なのかよくわかっていないのです。」
「私は神さまがどれほどに尊いお方なのかよくわかっていないのです。」
「私は神さまがどれほどに私を愛してくださっているのかよくわかっていないのです。」
「私は神さまがとてもとてもお優しい方なのだとなぜか思っているだけなのです。
「いつも利己的な恵みを与えてくださっていることに対しての感謝の御礼を申し上げていただけでごめんなさい・・・」
「どうか神さま、私にあなたがどれほど素晴らしいお方なのか私がわかるようにしてくださいませ」

私が悟りを得て、宇宙と一体であることがわかったとき、神さまを実感するのかもしれません。

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