「よくそうなる」心の状態が「悟っていますよ」と言われました


2015年10月17日(土)に、私は『よくそうなる』心の状態をスピリチュアルTVのチャットに書き込みました。

ところどころチョイスしてコピペしますが、

「私はやっぱり自分の心に「愛している」がないなぁと感じる日でした。なんというか「無」とでもいうのか私は「ただ在る」だけみたいなというか・・・」

「「これが好き」とか「あれが嫌い」とかそういう区別があるので「無」ではないのですが、なんだか「愛」の心が私の中には感じられないです。」

「地球が美しいと感じる気持ちはあるにはあるのですが、「地球を愛している」って気持ちとか、「愛している」って気持ちがないように思います。「優しくする」もできるししたいですが、なんだか「愛」じゃないなぁ・・・」

と書いたら、悟りを得られている視聴者さんから、

「しおんさん、自分を愛してるって禅やってる人は殆ど言いませんよ、無我何ですから。自分を愛しようがないですね^^」

「なんというか「無」とでもいうのか私は「ただ在る」だけみたいなというか・・・・しおんさん、これは悟っていますよ」

とお返事が・・・

また別の方から、「心はない ラマナ・マハルシ」とお返事があり、それについて悟りを得られている方が、「そうですよ マインドはない」とのお返事がありました。

私が、

「こころはない・・・ 星の無い宇宙空間みたいなもの? そんな感じなんですが」

「その人とか 自分の心の状態が こうである とか ああである とか見ちゃうと 肯定したり否定したりしますが、存在そのものは違うなぁって」

と私が書き込んで、ある方が私が否定力が高くなっているとおっしゃるのですが、

「その人とか 自分の心の状態が こうである とか ああである とか見ちゃうと 肯定したり否定したりしますが、存在そのものは違うなぁって」

「肯定するとしたら「存在そのもの」ですが・・・」

と書いたら、悟りを得られている方から、

「しおんさんは、肯定も否定もあるし、どちらも別に意識しない、「ただ在る」んでしょうね。悟ってますよ。悟りの一つです。」

というお返事がありました。

「物心ついたときから、私は「ただ在る」でただ思考することなくセカイを眺めていただけなのに、現実的にいろいろ求められたりしなくちゃいけなくて、なんでだろうって思っていました。」

「エゴの目覚めが遅かったか、エゴがとても薄かったんじゃないかと思います」

「幼い頃、いろいろやるよう求められたり、しなくちゃいけなくてやっていて、求めていないのに求めていないことをやらされたりして、なんでだろうという言葉ではなくて、不思議に思うような感覚で「・・・・・・」って思っていました」

「ただ、ロボットのようにこなしていました それを楽しいとも苦しいとも嫌とも好きとも嫌いとも思うことなく・・・」

「「それ」に意味があるとも思っていませんでした・・・」

と書き込んだのですが、書き込んでいる最中に悟りを得られている方から、

「しおんさん、物心ついたときに悟ってたって、通常人とは真逆ですね♪」

「しおんさん、物心ついた時に、今戻ってきているのかも知れませんね。」

と言われたのですが、そうなんです、4~5歳から漫画を読むようになる前の8歳くらいの頃の自我がとても薄かった頃の感覚に近くなっているのです。

思考癖がついているから思考してしまうので、それもちょっと疲れを感じているような気がしていて。
無音になるとつい過去のことをあれこれ思い出す思考をしてしまうから、音楽を聴いたり動画を見たりして思考しないようにしているのですが、これは音に依存している状態なので、なんにも音を出さない状態で瞑想して心静かにゆっくり時を過ごす時間を10分くらい作るのがいいだろうと思います。

今日は聖者サイマーさんの『高野山ダルシャン』の動画を観たから聖者サイマーさんの慈愛・慈悲のエネルギーがいっぱい流れてきているので、思考するのに疲れは感じないですが、思考してもほとんどが無駄な思考だというのはわかっていますし、退屈しないよう思考してしまうのだと思います。

あとは「私はただ在る」の状態の一種の悟りの心の境涯において、

「排他的にならないように気をつけること、丹田に意識を置くのがいい」

「思考を休めてみるのに、なにか考えが浮かんだらマントラを唱えるとかがいいと思う」

とのことでしたので、なにもしないでじーっとしているときに思考が浮かんできたときは、アマテラスさまのマントラを唱えるか、神さまへのお祈りをするのもいいなと思いました。

正直なところ、

「私は生まれてくる必要があったのだろうか」

とすら思ったりもしたんですが、生まれてきたということは何かをしようと計画して生まれてきたわけですし、現在、ライブ放送やブログ運営でなにか人のお役に立てているのではと思うので、「存在そのもの」を大切に思いながらセルフヒーリングで愛の心の境涯をどんどんあげていくのがいいのだろうと思います。

大聖者であられるキリスト者の方のように、大きな慈愛・慈悲の温かい心と微笑を持てるようになるように・・・
(*∪人∪*)

聖者への道のりを少しずつ進んでいきます。

※ここに書いたのはブログ記事にするためにチャットの会話の流れの中からいい感じで意味が通じるように書いてあります。
実際のチャットの会話の流れとはコメントが前後したりするのですが、だいたいこんな感じのやりとりがありました。

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