わがままを許せない人はとてもわがままな人である


性格リフォーム心理カウンセラーの心屋仁之助さんのフェイスブック投稿で、

「わがままを言う人を許せない人は、
自分の思うとおりにしないと許せないという
とてもわがままな人である」

という言葉があったのです。

私は人のわがままが許せないし、自分がわがままを言うことも許さなかったので、しょぼんとしてしまいました。
(´・ω・`)

そもそも、どうして私は人がわがままを言うと許せないのかと自覚法をしてみたところ、4歳の頃のことを思い出しました。

私がなにかわがままを言ったら、父親が、

「わがままを言うとはなにごとだ!
親の言うことには「はい」か「いいえ」か「ごめんなさい」だ!!」

と雷のように怒鳴られて、それでその時私は、

「あっ、わがままは言っちゃいけないんだ。」

と思って、それ以来、わがままを言うことを一切しなくなったのです。

だから、「他の人もわがままを言わないのは当然のこと」になってしまったのだろうか・・・

と思いました。

「わがまま」とはなんだろうと考えてみました。すると、

「自分の要求に相手がそれをしたくないとわがままになる」
「相手の要求に対してそれを自分がしたくないとわがままを言われているになる」

のだと気付きました。

つまり、自分の要求に相手がこころよく答えてくれた時は、自分の要求はわがままにはならないですし、

相手になにか要求されたとき、それを叶えてあげることに喜びを感じるのなら、それはわがままではないはずです。

そして、「自分がやらせてもらえたこと」を、他人に「やるな」とは思わないはずです。

そこで見えてきたものが、

「相手に愛と喜びをもって与えたいと思って相手の望みを叶えてあげたいと思うか」

という、『愛の心』が関係しているのだということです。

しかし、その相手の要求が自分にとって「嫌なこと」でそれを強く要求されると、とてもわがままを言われていて嫌だと思うわけです。

結局、愛の意識がどれだけ高いかということが関係してくるのだと思いました。

わたしは、自分だけではできないことについて、誰かに手伝っていただくというのをする機会があったら、人にお願いしてみようと思いました。

そういえば、以前、プチャリさんが営業していたとき、プチャリさんではお雑煮のお餅を増量にしていただいたり(もちろんその分のお金を支払ってです)そういうわがままを聞いていただいたりしました。
(それはお金を支払っているんだからわがままじゃないと言われましたが私にとってはわがままでした。)

ただ、相手がやるのを嫌がっているのに自分が喜びとメリットを得るために相手に強く要求して無理やりやらせて自分が喜ぶのは意識が低いことだと思います。

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