悟りの観点を学ぶ場合はエネルギーヒーリングに取り組むことも必要です


最近、悟りの勉強をしているある方たちの
発言と行動を見て少しだけ観察してきていたのですが、
ああ、この方々ってこうじゃないかなって思っていたことが、
どうやらというかやっぱり本当にそのようだと
感じることがあったんです。

その前に、なぜそれがやっぱり本当にそのようだ、
と思ったかというと、実は私にもその体験があって、
私はそれは愛じゃないと判断したので、
その心の境涯の状態を受け入れるのを拒否したのです。

それはどんな心の境涯の状態かというと、

「自分さえよければいい。
他者はどうでもいい。」

という心の境涯の状態です。

これはある意味その通りなのですが、
自分1人だけの世界の心の中だけで
そうである場合は別に問題はないのですが、

肉体を持っている他者と関わってコミュニケーションしている時は、
適用していいシチュエーションと、
適用しないほうがいいシチュエーションとがあるんです。

そのどちらのシチュエーションなのかは
愛に基づいて判断しないとなのですが、
間違った判断の仕方をすると、
ただの我儘という意味での自己中な
自分勝手な人になるだけなのです。

そう、要は、

「このセカイで自分だけが王様」

な人になってしまうのです。

さて、最近、悟りを勉強する方が増えていると思いますが、
私は悟りを勉強している方々に危なさを感じています。

まず、悟りの勉強をしていくにあたって、
心が癒されていなくて満たされていない人が、
心の苦しさから逃れようと、
悟りの観点だけ学んだ場合、
束縛やストレスの不自由から心を自由にしたいため、
悟りの観点での物の考え方を、
心の自由を得るための利己的な利用の仕方で
取り入れてしまうという危なさがあります。

悟りの観点というのは心癒されて満たされて
愛の境涯があるレベルに高まった人の観点なんです。

だから心が癒されて満たされているからこそ
得られるという心の境涯での心の自由度の観点で、
心の自由度がとても高くてとても広いのです。

なのに心が癒されていなくて満たされていなくて
悟りの観点の心の境涯になっていないのに、
悟りの観点での物の考え方をしても、
それは自分が心の自由のメリットを得るためだけの、
自分に都合のよい利己的な利用の仕方を
しているだけに過ぎないのです。

聖霊療法やフラワーエッセンスなどの
エネルギーヒーリングに長期的に取り組んで、
心が癒されて満たされてきて、
愛の心の境涯がどんどん上がっていくことで
少しずつ「わかってくる」ようになる
心の境涯の視点があるのですが、
その「わかった」心の境涯の視点が、
悟りの観点と共通していることを知った時、

「ああ、悟っている人が言っていたのはこのことだな」

ということがやっとわかるのです。

スピリチュアリティの知識が豊富にあり、
また悟りの勉強をしている方がいて、
その方の言動を見ていると、他者に対して、

「私が王様。」
「自分さえよければいい。」
「他者がどうであろうとどうでもいい」

という物の考え方で他者とコミュニケーションを取っていて、
他者の心を思いやることのない行動言動をされる方を見かけるので、
エネルギーヒーリングにしっかり取り組んでいない人が
悟りの観点だけ学んでしまうことの危なさを感じています。

ちなみに、悟りを得るには自覚法と瞑想がとても大事なのですが、
瞑想をしている時というのは自然とエネルギーを受け取っているらしいんです。

けれど、悟りの観点だけ学んで
自分に都合よく利己的に取り入れてしまうのは、
我儘という意味で自己中で傍若無人な心の持ち主に
なってしまうだけなので、
それは社会的に通用しない人になるだけですから、
エネルギーヒーリングにしっかり取り組みながら、
悟りの観点を学んだほうがいいと思います。

悟りの観点を学んでそういう物の見方をするには、
慈愛・慈悲の心を培うことがとても大事なのです。

ですから、悟りを勉強している方で、
我儘という意味での自己中で
傍若無人な振舞いをする人や、
傍若無人というほどではなくても、
あなたに対して思いやりのない
行動言動をしてくる人なら、

その方はある意味、あなたにとって有害な人になるので、
その方からはさっと離れて距離を置くか、
境界線をちゃんと引いておいたほうが自分を守れると思います。

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