。。☆゚ ゜しおんえつこのスピリチュアリティ勉強中ブログ~セルフヒーリングで心キラキラになりませんか~゜゜☆。。

※この記事に出て来るブルーノ・グルーニングさんの交友会はドイツ非営利社団法人(非営利団体)で宗教団体ではありません。

今、私は奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんの交友会で、
ある重要なお役目をさせていただいているのですが、

「中間管理職の人ってこういうストレスがあるのかぁ」

というのを体験中で、
その過程で愛とはなにかを知りたくなり、
ブルーノさんにお訊ねしたらこの動画に出会いました。

【動画】愛は3つのこころ1/6 Tatsu's Dragonball
https://www.youtube.com/watch?v=OvW8orrBz90

【動画】愛は3つのこころ2/6 Tatsu's Dragonball
https://www.youtube.com/watch?v=V2eipB30-4I

【動画】愛は3つのこころ4/6 Tatsu's Dragonball
https://www.youtube.com/watch?v=MjzYMJQ_2IM

【動画】愛は3つのこころ5/6 Tatsu's Dragonball
https://www.youtube.com/watch?v=FFwZzkdMBsg

【動画】愛は3つのこころ6/6 Tatsu's Dragonball
https://www.youtube.com/watch?v=cnsJEAb0xr4

愛とは3つの心で、

「許す心」
 ・・・赦す、受け入れる、認める→「知る」ことでできる。「知らない」とできない。そして体験からの経験と知恵が必要になってくる。

「祈る心」
・・・神との会話を「祈る」と言う。天の神→意識、内なる神→本心(相手の本心を知る)

「活かす心」
・・・チャンスを与える、感謝→恩返し、成就。「活かす」の反対は「殺す」。無視は精神的な殺し。

この3つがぐるぐる循環しているのだそうです。
詳しくは上記6つの動画で説明してくださっています。

私は愛って「好き」のとても大きい感情なのだと思っていたのですが、
この動画を観たら違っていたんです。

「好き」って「好み」なんだそうです。
好みってことは感情ではなく「嗜好」ということですよね。

だから「あなたのこと愛せなくなった」っていうのは、
単に「好みじゃなくなった」ってことで、
初めから愛していなかったのだそうです。

私は「人を愛しているという気持ちが感じられない」ってずっと思っているけど、
スピリチュアルTVのテディさん(故・小泉義仁さん)から、

「愛は感情じゃないです。
人情も愛じゃないです。
情も愛じゃないです。
私たちは愛がそういうものだと勘違いしているんですよ」

とお聞きしていました。

愛が「許す心」「祈る心」「活かす心」なら、
「愛してる」という「感情」(一時的に湧き起ってくる過ぎ去るもの)が
感じられないっていうのは
普通のことで当たり前のことだったんですね。

そして「好き」も「好み」で単なる「嗜好」なら、
相手に「好感」は持っても「好き」という感情を滅多に感じないのも
おかしなことではなかったのですね。

スピリチュアルTVにお出になられた、
村田のりみちさんという方が、

「あなたが好きです、という感情的なものを愛だとすると、
高次元の愛というのはそういう感情的なものではないんです」

とおっしゃっていました。
この動画でおっしゃっています↓

【動画】スピリチュアル・ヒーラー 村田のりみちさん登場♪
https://www.youtube.com/watch?v=g0D_xFnC5Z0

私は自分が愛じゃない状態にもなっているということを知りました。
なぜなら、私はすごくジャッジして批判する心の持ち主だからです。

今、フラワーエッセンスの『バーベイン』という、
自分の価値観を人に押し付けないで
相手の価値観を認められるようになるのに対応するものを摂っています。

改善したらまた少し神の愛に近づけるのだと、待ち遠しいです。

今、私は愛と正義と思いやりと優しさと厳しさについて
どのようにするのがいいのかわからないでいます。
なにかメッセージが来るといいのですが・・・

ところで、「無視」は「精神的な殺し」であることを
上記「愛は3つのこころ」の動画の中で説明がされています。

私は「無返事」という「無視」をすることも
時としては必要な場合があるということを知りました。

ブログはコメントを受け付けていないのですが、
ブログに掲載した記事に、
批難コメント(反論)が来ることがごく稀にあります。

それに対して、なぜこういう記事を書いたのかを
説明して丁寧にお返事したら、
さらに批難(反論)が来て、何を言ってもダメなのだと知りました。

また、ある場所で居合わせてしまうこともある意識レベルの低い数値のおじさんが
すごく嫌だったので、話しかけられても無視して相手にしませんでした。

なぜなら、人に相手をしてもらいたいなら、
「人に相手をしてもらえる自分」になる必要がある、
と私は思っているからです。

無視することが必要な場合もある、についてなのですが、
お釈迦さまのお話でこういうお話があります。

お釈迦さまがお城を出る時に手伝った、
乳兄弟だったか召使いだったかの男の人がいて、
お釈迦さまに弟子入りしてまわりのお弟子さんたちに、

「俺はブッダがお城を出るときに手伝ったんだ。
ずっとブッダと一緒に育ったんだ。
俺が一番ブッダのことを知っている。
だからお前たちより俺は偉いんだ。
みんな俺を尊敬しろよ。」

たしかそういうようなことをいつも言って威張っていたので、
他のお弟子さんたちが困ってブッダに相談をしたら、

ブッダが、「じゃあ、無視しなさい」とおっしゃったので、
お弟子さんたちはその威張っているお弟子さんが
話しかけてきても無視し続けたのだそうです。

誰も相手にしてくれなくなったそのお弟子さんは反省して、
威張らなくなった・・・

お釈迦さまのお話でそういうお話がありました。

優しい愛で優しく相手をしてしまうことが、
その人が

「このままじゃ相手にしてもらえないんだ」

ということに気づかない、そういうのがあると思います。

私は他者への思いやりのない発言をしては
いけないとは言わないけれど、
それは自分の場(ブログや手帳の日記、漫画作品など)で
やるなら別にかまわない、
けれどチャットのようなみんなが集まって
楽しくおしゃべりする場でやることではない、
と思っています。

人というのはキラキラした美しいものが好きです。
美しい心で優しい愛を発揮しなければ、
赤の他人は自分に振り向いてくれないのです。

血のつながらない、もしくは結婚契約をして
家族になっていない赤の他人というのは、
自分を幸せにしてくれるというメリットを与えない人に対して、
自ら近づかないのです。

上記の動画「愛は3つのこころ」で説明しているのは、
『優しい愛』を発揮する場合のことを言っていると思います。

ですが、人間という生き物は、優しくされ続けていると、
堕落してしまう心も持っています。

神さまは「NO」と言わない。
とてもとてもお優しいのですが、
この「NO」と言わないということは
実はとても厳しい側面も持っているということ・・・

なぜなら、何を思っても、何をしても、
先に間違いに気づかせてはいただけないからです。
だから自分で好きなように判断して行動することで、
手痛い目、手ひどい目に合ったりもするのです。

「許し」「祈り」「活かす」の愛の観点から見たら、
「無視」は「精神的な殺し」であるけれど、

「無視」が「良薬口に苦し」という場合もある、
ということもあると思います。

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2016.11.13 / Top↑