。。☆゚ ゜しおんえつこのスピリチュアリティ勉強中ブログ~セルフヒーリングで心キラキラになりませんか~゜゜☆。。


賢者テラさんの『裁くのは魚だけにしよう!』を観ました。

【動画】
裁くのは魚だけにしよう!

https://youtu.be/FmDXPG9IIjk

この動画の中で賢者テラさんは、

「社会のために人のために、ぜひお裁きください」

っておっしゃっていて、

世の中には私のように

無知で未熟な人や
悪な人や
利己的な自己愛でわからずやな人や

そういう人たちがいるから、

「批判しないこと、善悪ジャッジはしないこと」

という、聖者の言葉にある神の愛に基づいて対応することが
実は通用しない相手というのがいるから、

その人の狂った主観と価値観の観点からではなく、
愛の観点からの善悪ジャッジでの批判も
実は必要なんだろうと、
私はそう思っていました。

ただ、じゃあ愛ってどんなのと聞かれると
私は説明できないけど、

「人に優しいことをすること」
「人が幸せを感じることをすること」
「人にとって為になること(厳しさ含む)をすること」

だとは思っていて、そこから

「これは愛だ」
「これは愛じゃない」

と私は自分の言葉や行動、相手の言葉や行動を
判断しているなって思っています。

だから「善悪ジャッジ」や「批判」も
愛の観点からでするということは
時には必要なんだと思っています。

厳しいことを他者に言うことは
あまりやらなくて済めばとは思っていますが、
なんでも許せばいいというものでもないんだと思います。

私も含めて悪を行う人たちもいるのだから・・・

奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんは、

「人を批判することをやめなさい!
あなたはそれについて何も知りません。
ゆるしなさい、隣人を愛しなさい!」

とおっしゃっていて、
これは聖者の観点からの言葉で
物事を神の視点というある側面から見た場合の言葉で、
聖者レベルでなければできないことなのだけど、

ブルーノ・グルーニングさんのドキュメンタリー映画で
ブルーノさんの人生を観ればわかるけど、
ブルーノ・グルーニングさんご自身は
悪な人たちだとわかっていながらわざと利用されて、

その悪な人たちとブルーノ・グルーニングさんが関わっている時に
悪の心を正すような言葉を
ブルーノ・グルーニングさんが悪な人たちにちゃんと言っていたのかは
私ではわからないけど、

私は愛の観点からの
「善悪ジャッジ」と「批判」をすることは、

その人に良くなっていただく場合や
世の中を良くする場合や
団体・組織を良質に保つためになら

それをすることが必要だと思っています。

だから私が関わっているある方が
人を見ぬく鋭い目を持っているのですが、
同じところに所属する方々の悪事とそのやり方を見て、
カンカンに怒って許さないでいるのを
人として当然のことだと思っています。

その人から聞いた話で私が事実を確認したわけじゃないけど、
その人は良識ある常識人だなと話していてわかるから、
その人は嘘は話していないなってわかるのです。

その方はちゃんとその人たちに間違っていることを言って、
こうしてくださいよ、こうしたほういいですよと、
かなりきつくハッキリと伝えたそうだけど・・・

立場ある方がそのことについて
なんの対処もする気がないこともハッキリとわかったと、
そう私に話してくださいました。


「世の中のために、人のために、
(愛の観点から)裁いてちょーだい!」

という賢者テラさんの言葉は、
その通りだと思います。

ブルーノ・グルーニングさんのおっしゃった言葉の意味は
ブルーノさんレベルの心の境涯じゃなければ
意味はわからない。

聖者の言っている言葉の本当の意味は
聖者にならなければ決してわからない。

聖者が言っていることを本当に実践できるのは
聖者の心の境涯の者である。

聖者レベルでもない私たちが
意味もどういうことかもわかっていないのに、
ブルーノ・グルーニングさんがそう言っているからと、
その言葉の本当の意味をわかっていないのに、
その言葉を振りかざして自分目線での解釈で行動言動して、

ブルーノさんがしてほしいと思っていることとは違う
行動言動を私たちはしていて、
まったくとんちんかんなことを私たちはしているんだなと
私はときどき思うことがあります。

「ブルーノ・グルーニングさんがこう言っているから」

「悟りの観点だとこうだから」

「ブルーノ・グルーニングさんが必ず助けてくれるから」

と、自分都合の自己解釈でする行動言動ではなく、

「ちゃんとこの地上社会に生きる人としての
良識と常識を持ってくださいよ
それで行動言動してくださいよ」

と私はある方と同じように、そう思っています。

なんのことかはここに書けないけれど、
その方は私を信頼してある方たちがしていることを
少し私にわかるように話してくださいました。

その方たちがしているとんちんかんなことや
悪なことをしていることについて、
私はこの目と耳で事実を確認していなくても、
話を聞いただけで私でもそれはやっぱり
とんちんかんなことで常識的・良識的ではないことだと
わかるようなことについて、
私を信頼してその方は少し話してくださって、

その方がその人たちを許せなくて
カンカンに怒っている気持ちは
人として当たり前のことだと思います。

私はそれを話してくださった良識的で常識的な方のような
強い心としっかりした心を持っていないから、
私がこれを行うことは大丈夫なのかな、
私も理不尽さを許せなくなって辞める日が来るのかなと
思っているところですが、

私は責任を持つ立場を自分で選んだのだから、
まだ様子を見て私がふさわしいのかふさわしくないのか
見極めるためにまだ当分やってみる方向で考えていますが、

近いうちに私は辞退したほうがいいのではないか、
他の方を探したほうがいいのではないかについても、
聞ける機会を持てると思います。

聖者の言葉の本当の意味は
聖者ではない私たちではわからない。

だからことを行っていくのに、
社会人としての、大人としての良識・常識が
ものを言うと思います。


「世の中のために、人のために、
(愛の観点から)裁いてちょーだい!」

賢者テラさん、ありがとうございます。

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2016.11.27 / Top↑