【食事時閲覧注意】「悟りの観点掴んだり―!!」と思う『アハ体験』がありました


2017年4月中のある日のことですが、
あるジャンルのある勉強の集まりに参加した帰りに、
自転車に乗りながら悟られている方が話していた
悟りの観点を思い起こしていました。

「善も悪もない。すべて愛です」
「利己心も利他心もない。全部利他心なのです。」
「優しい愛も厳しい愛もない。愛は愛。」
「すべては愛です」

こういうのを『無分別智』と言うそうで、
悟った方の一元の心の境涯は
「すべてが愛」なんだそうです。

そして悟った方のこんな話も思い出しました。

「お釈迦さまが体験した悟りというのはね、
そこらへんの道端の石ころや草や道の土が
お母さんと同じになってしまうということだよ。
だから道を歩けないの。
だって土も草もお母さんと同じだから、
お母さんを踏めないでしょ。」

この話はスピリチュアルTVの視聴者で
さとりを得ている方が教えてくださったと
記憶しているのですが、もしかしたら
とまべっちさん(天才博士の苫米地英人さん)の
お釈迦さまの悟りの話の動画で
知ったことかもしれません。

で、自転車をこぎながら、
これらの悟りの観点を思い起こしていた私は、

「悟りとは、いったいどういうものなんだろう」

と思いを馳せた時、
急に子どもの頃に父が私に言った言葉が
ふっと脳裏に思い起こされて、

「そうか!そういうことか!」

と悟りの観点が言っていることが
こういうことだったのかと気づきを得たのです。

その悟りの観点の気づきを表す言葉を書きますが、
たいへん下品な表現の仕方になりますし、
お食事時でしたら申し訳ありません。

その悟りの観点とは・・・


「糞味噌一緒でごったくた
うんこ食べられる人だ
うんこは愛だ」


です。

『無分別智』ってつまりはそういうことでしょ?

そう・・・中学1年生くらいの頃でしょうか、
私がある衛生観念のないことをしていたので、
父が私に吐き捨てるように、

「あんたは糞味噌一緒だな」

と言ったことがあったのを思い出したのです。

そしてこの
「糞味噌一緒でごったくた」
であることに気づいた時、
スピリチュアルTVのテディさんが
スカイプでやっていらした
『悟りのサポートトーク サットサン』
に参加していた時に、
テディさんが私に悟りというものを教えるために
うんこに例えて語ってくださったことを
思い出したのです。

テディさん、こうおっしゃっていました。

「私たちはね、うんこをした時に手を石鹸で洗うでしょ、
それはうんこを汚いと思っていて
うんこを悪だと思っているんだよね。

だけどうんこは土に混ぜると土が栄養たっぷりの
ふかふかのとても良い土になって、
野菜が栄養たっぷりに育つでしょ。

うんこが毎日出なくなると
私たちはとても苦しい思いをするでしょ。
うんこ出ないと体にすごく良くなくて、
うんこが出るととてもスッキリして
幸せな気持ちになるでしょ。

うんこの状態で自分の健康や
ペットの健康がわかるでしょ。

うんこはそれくらいすごいものなんです。
私たちはうんこを善にも悪にも見られるけど、
うんこは愛なんですよ。」

テディさんはあの時私にこうおっしゃいました。

つまり、

『糞味噌一緒でごったくた』で、
すべてのものに違いはなく、
すべてのものが同じもので
すべてのものが愛なんだ

が悟った方の一元の『無分別智』状態なわけです。

「糞味噌一緒でごったくた
うんこ食べられる人だ」

それに気づいた瞬間、

「悟りの観点掴んだり―!!!
我、気づきを得たり―!!!」


とか一瞬『アハ体験』をして
とてもスッキリしました。
(* ̄  ̄*)

この話を昨日、スピリチュアルTVの
一瞥体験を何度もされている視聴者さんに
スカイプのチャットで報告しましたところ、

「そうですよ。しおんさん、
頭ではなく実感で掴みましたね。
うんこは愛です♡」

とのことでした。

なので、私はうんこ食べられないから、
悟りを得ないで二元で生きていくのが
生きやすそうだと思いました。

心の勉強や霊的なことのお勉強をしながら、
自分の心を見つめて気づきを得ていく『内観法』をして、
エネルギーヒーリングにしっかり取り組んで、
「今のこの時」を体験しながら

泣いたり、笑ったり、怒ったりなどするときはして、
過去を振り返って気づきを得ようとしてみたり、
未来を想定して今どう動くかを選択してみたり、
とにかく「今を楽しむ」ことをしていこうと
そうおもいました。

その一瞥体験を何度もしている方も、
うんこは食べられないそうです。
けれどうんこを見て感謝して
「ありがとう」と言えるとのことです。

先ほど話したテディさんのうんこの悟りの話のように、
すべてのものは愛なんだと思えて
すべてのものは愛だと見られるようになった時、
悟りにとても近くなるんだと思います。

すべてのものに『逆説の法則』があり、
すべてのものにはメリットとデメリットがあり、
すべてのものが善にも悪にも見ることができ、

自分が「見て」いるものに、
どんな善と悪があるのか、
どんなメリットとデメリットがあって、
どう愛なのか?

そういう視点で「そのこと」を眺めて、
「そのこと」をどう感じるかの自分の心を見つめて、
「そのこと」を「そう感じる」自分の心の
「根底にあるもの」「大元の原因」に気づき、
エネルギーヒーリングやフラワーエッセンスで
その大元になった心の引っ掛かり問題の
感情エネルギーを浄化して心を癒していく・・・

そうすることで観念の枠を外して
どんどん心を楽にしていく。

その上で、私たちは個別の肉体をいただいて
分離を体験して生きているのだから、
この世界で一元の観点と二元の観点の
使い分けをして地上で生きていく。

そんなことを思った
「糞味噌一緒」の『アハ体験』でした。

元モルモン教の信者さんだった方に
この話をしましたら、
とても面白く感じられたようで、
とてもウケたようで、
こうおっしゃっていました。

「創世記のアダムも神さまが
塵から作ったので糞味噌に通じるところが
あるように思います。」

アダムは神さまが土をこねて作ったことが
旧約聖書の初めのほうに書いてあるんです。

つまり、土はうんこによって
フカフカの栄養たっぷりの良い土になっているので、
アダムはそのうんこによって出来上がった
栄養たっぷりの土によって
肉体を作ってもらったということなので、
糞味噌一緒なわけです。

まさか悟りの観点を掴むことが
うんこによってだとは・・・

高尚な話のようで高尚じゃないような
そんな複雑な気持ちを持ちました。
(* ̄  ̄*)

世の中なにが学びとなって気づきを得ることになるのか
わからないものだなと思いました。

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