「いい子いい子」な「お母さんの優しい愛」を他人に求めると人間関係がうまくいかないなと思います


スピリチュアルTVのチャットである方が、

「自分をわかってもらいたい」

ということについて、

「人は相手のことを理解できないのだから、
わかってもらおうとすることをやめる」

ということについて発言なさっていて、
それについて私が人というのは
赤ちゃんの頃に体験した
「お母さんの優しい愛」を
求めているのだと思うことについて
発言した出来事がありました。

人というのは赤ちゃんの体で産まれて来た時、
たいてい一般的にはお母さんが
聖母マリア的・観音さま的な
どこまでも「いい子いい子」して
優しくしてもらえるという
「優しい母の愛」を人生最初で体験する人が
多いだろうと思います。

だからその赤ちゃんの頃に体験した
「いい子いい子」してくれる「優しい母の愛」が
「愛」であり、「愛されることだ」と
思い込んでしまい、
大人になってもその「いい子いい子」の
「優しい母の愛」を与えてもらいたいと、
他人に求めてしまうのだと思います。

そして相手(他人)に「いい子いい子」の
「優しい母の愛」を与えてもらえると思った相手に
べったりとして依存して安心を得ようとする、

中には相手から愛を与えてもらっているのに
相手に愛を与えない、もらって喜ぶばかりという、

「だってこの人はお母さんの愛を
与えてくれる人だから。
だから私は愛を与え返さなくてもいい」

そういうことをする人もいて、
そういうことをするほど
人間関係がうまくいかないということを
私は人生の人間関係の中で体験してきました。

これだけでなく、
何人かのパートナーでもない男性が私にしてきた

「俺の言うことが正しいんだから
お前は俺の言うことを聞けばいいんだ。
お前は俺を満足させればいいんだ。」

という支配欲で
相手を自分の従者にしようとする人も
人間関係がうまくいかないことを
伝えておきます。

さて、人が「これが愛だ」と思ってしまう
「いい子いい子」をしてくれる
聖母マリア的・観音さま的な「慈母愛」の
「お母さんの優しい愛」というのは、
自分にとって厳しいことをされることではない、
と人は勘違いしているのではないかと
私の人生の人間関係の中で体験しています。

【記事】加藤諦三の『愛される法則
~愛はこんな小さなことで確かめられる~

http://sanmarie.me/lovelight/

この記事に加藤諦三さんのご著書から
転載してくださった中の、

~ここから引用~

>>愛を知らない人は、騙される。

>>お漏らしをした子供がいる。
>>おむつただれができている。
>>子供は気持ち悪い。

>>でも、お風呂に入れて、きれいにして、おむつただれを治してあげようとする人を嫌がる。
>>しみて、痛いから。

>>おむつただれをほうっておいて、付き合ってくれる人が「いい人」になってしまう。
>>面倒を見ない人を、子供は「いい人」と思う。

>>しかし、この「いい人」は、赤ん坊が泣き出せば、逃げてしまう。


~引用ここまで~

これはすごく「優しい愛を与えてもらいたい」
と思っていた私に・・・
いや、今でも

「いい子いい子してちやほやするような
優しい愛が与えてもらえるのは良いな」

と思っているけれど、
その私がとても納得する言葉です。

厳しい愛も人生生きていくのために
人には必要なのだと、
私はよく知っています。

鞭ばかり与えられて
その鞭打たれた傷で痛いという、
苦しみの感情が消えないうちは、
鞭打たれたというその記憶を思い返すだけで、
苦しみ続けてしまう。

優しい愛を誰かが与えてくれて
その時は喜べたとしても、
鞭打たれた時のその記憶を思い出して
感情が湧いてきて苦しんでしまう。

赤ちゃんの頃にお母さんや誰かが与えてくれていた
あの『優しい母性愛』を人は他人に求めてしまう。

手厳しい言葉を言って来たり
自分を受け入れなくなって突き放してきた人を
「愛ではない」「思いやりがない」とし、
「怖い人」と思い、
その人の手厳しい愛というものが
どういうものなのかに気づくことができないうちは、
その人のことは「この人は人を愛せない人だ」になる。

それは私も同じです。
人生の先達や別の宇宙で辛苦を体験しながら
生きている人たちが、
私のことを考えてくださって言ってくださった
その手厳しい言葉や行動が、
私には鞭打たれているように感じ、
あとでその言葉や行動を思い起こして
ボロボロ泣いたりもします。

でも、私のことを考えてくださった
その手厳しい言葉の意味を
しっかりよく考えて納得がいった時、
その手厳しい言葉は鞭のようだけど
大切なことだと気づきます。

「いい子いい子」をしてくれて
「あなたはなんにも間違っていなくて悪くないんだよ」
「あなたは自由にしていてもいいんだよ」
「どんなあなたでも私は認めてあげるし
受け入れてあげるよ」

なんていうことをしてくれる
『地上の別の肉体を持った人間』は、
本当にあなたのことを思ってくれている人ではない、
ということです。

これらの愛は、最近、悟りの話をしている方や
特殊な肉体の状態で臨死体験をした方などが語っている、
天界に戻った時に実感する『神さまの愛』というのが
こういうもののようですので、
それを地上で肉体を持って生きている『人間』や
動物本能的に生きている『人』に求めても
無理だということです。
その相手が聖者ならどうかわかりませんけれど・・・


他人に「いい子いい子」の「優しい愛」を
与えてもらいたいと思った時は、

☆天界の優しい天使の音楽のような
ヒーリングミュージックを聴く

☆エンジェルカード(オラクルカード)を引く

☆温泉または銭湯の広くて温かい湯船に浸かる

☆お布団にくるまれる

☆近所のお地蔵さまとか神社やお寺や
自宅に飾った神仏のご像や仏壇に手を合わせて
神仏に聴いてもらいたいことを話すか、
『話し相手サービス』か『傾聴ボランティア』を利用する

☆人の話を聴くのが好きという人に聞いてもらう。
カウンターのあるカフェのマスターも聴いてくれたりします
(ただし自分に都合の良い返事がもらえるとは限りません)

「ただ話を聴いてくれればいいんだ」
と思う人は多いと思いますが、
話の内容が愚痴とか苦しみ話だと
聴かされるほうは精神的に苦しいと感じ、
「心のゴミ箱にされている」
と思う心の境涯になったりもします。

ヒーリングに取り組んで
心が癒されて満たされてくると、
愚痴話や苦しみ話は
「私の心のゴミ箱にしないで」
と思う心の境涯になります。

まぁ、大人になると
「お母さんのいい子いい子な優しい愛」や
鞭打つような「手厳しい愛」を
他人に「与える側」の立場になります。
それができるだけの人生勉強をしてきた人や
子どもの親になって子育てをするようになればです。

肉体と年齢だけが成人の立場で
心と中身は子どもです、という方もいますが、
周りの子どもたちや大人たちが
「大人なんだから」と思って
「この人は体の大きい子どもだ」
という風に見てもらえないのが
成人者の立場です。

自分の心について内観したり
心について知ったりするのに、
哲学者で心理学者の加藤諦三さんの本や
ユーチューブの音声動画がたくさんある
『テレフォン人生相談』を聴いて
自分の心について内観するのは
とてもいいと思います。

テレフォン人生相談の
幸せ道しるべ動画

https://www.youtube.com/channel/UCI7u91brLdS1WT0PxNy1TVw

「いい子いい子」な「優しい愛」ばかり
求めてしまう私(たち)に向けた、
高級霊シルバーバーチのお言葉もあります。

シルバーバーチに見る“真実の愛”
~愛を安売りする風潮の中で、本物の愛を求めて~

http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-31/spnl-31-1.htm

ただ、間違えないでいただきたいのは、
手厳しい言葉を相手に言う場合、
相手との『信頼関係』(ラポール)が
築けていない場合は、
相手は(自分は)逃げていきます。

ネット上でとか会ってすぐとかで
社交的にやりとりしているだけの相手とは
『信頼関係』(ラポール)は築けていないので
厳しい言葉を言った(言われた)場合、
逃げていくことになり、関わらなくなることでしょう。

特に子どもの頃(大人になってからでも)に
親や誰から虐待されて
暴力・暴言・DV目撃・性被害暴力など
暴力を受けた人に「手厳しい言葉」を言うと
その人はあなたを嫌いになり、
さっと逃げられる人は逃げていくでしょう。

関連記事
スポンサーサイト