「私では通用しない」・・・全ての存在の上に君臨する『絶対者』である神さまの御力添えが私には必要になります


私という人間の『宇宙(世界。人生)』での人間関係のことに色々気づいて、聖書系団体の元信者さんである心の悩み相談のプロの友達Aさんとスローペースでやりとりをしていたのですが、

つい最近、あるちょっと悪の存在なのかなと思う霊的現象があったり、2017年6月終わりごろだったか7月だったかにやった性エネルギーレイプの相手との霊的バトルのこととかで、悪の心の霊的存在にも、肉体を持つ悪の心のパーセンテージの人にも私では通用しないのだという話を友達Aさんにしたんです。

すると友達Aさんが、

「シオンさんは絶対的な存在が欲しいのかな?お願いするとすべての苦痛を取り去ってくれるような存在・・・」

とお訊ねになられるので、私はそうであるということについて、このようなお返事をしたのです。

私:
「お願いするとすべての苦痛を取り去ってくれるような絶対的な存在・・・

自分を守ってくれる神さまが私には必要です。
それも、すべての上に君臨できる、誰もその上に立つことができないような存在である最高神がおられないと、いろんな次元の特にこの世界に関わることができるすべての存在の上に君臨できる圧倒的な存在というのがいてくださらないと、闇や悪に堕ちたり光の心を強くしていったりしている私たちはどこまでもおかしくなっていくと思っています。

Aさんにお伝えした『かまいたち現象の霊障』であろうなにかが足の裏にばしっと当たって無数の傷が一瞬にしてできた出来事も、性エネルギーレイプも、他にも私が統合失調症になってから名古屋に連れ戻されてお薬を飲み始めて3か月くらいの頃に東京のアパートの荷物をゴミに出して必要なものを段ボール箱に詰めようと戻った時、メガネをかけるとメガネがガタガタ揺れ続けてメガネをかけていられない変な現象(霊的な現象だと思うのですが)を体験したこともありますし、

最近、午前深夜に寝転がって眠りに入ろうとしたり、ちゃんと精神病薬を飲んで眠りにつこうとすると、眠りに入っていく瞬間にバシッという感じで気の攻撃みたいな衝撃(アタック)が来て眠りに入って行けないようにされて睡眠妨害されたりするようになりましたし、

今日の午前深夜も精神病薬を飲んでかなり体が眠くなってきたときに、まぶたをつぶっていたら、まぶたを閉じた視界に横目でこちらをじろっと見ている顔みたいなのが見えたのでじっと見ていたら、それが姿をゆらっと変えて白黒写真みたいな感じで邪悪な顔で笑っている短髪のおじさんの全身の姿に変わって、そのおじさんが手を伸ばして私の首をしめる姿勢をとったら、私の肉体の胸のあたりにグググッという感じで圧迫の感覚があるんです。

「いやー!こないで!」と叫んだけどそのおじさんは邪悪な笑顔で今度は笑いと共に腕を小刻みに前後にゆするような感じで私の首を絞める姿を見せて、するとまた私の胸がグググッと圧迫される痛みがあったので、

「ノウマクサンマンダバサラダンカン」という、『宇宙皇子(うつのみこ)』という修験道のスピリチュアルな小説に出て来た『不動明王』の真言の、小説の中では「火界咒(かかいしゅ)」と書いてありましたが、今調べたら、

小咒(しょうしゅ)、一字咒(いちじしゅ)とも呼ばれる不動明王の真言だったのですが、それを唱えてから、

「ノウマクサンマンダバサラダンカン イエスさま、ブルーノ・グルーニングさん、大天使ミカエルさま、助けてください」

と言ったらそのおじさんが何か考えるような感じで私の首を絞めるしぐさをやめて横を向いてうつむいて足のほうからすーっと姿を消していったんです。

※視界のスペース的にそのおじさんのふくらはぎから下は見えませんでした。

こういう、霊的だとしか思えない現象を体験すると、やはり絶対的なすべての上に君臨できる最高神さまと、イエスさまたち神さまをバッグボーンにつけている『他者が舐めることができない聖者』がいてくださってサポートをお願いできないと、私はそういう霊的なことから守ってもらえないと思います。

この間の霊的バトルのことや低級霊さんが私をいたずらして痛めつけようと来たなと思った時に、自分のエネルギーや心の力とか自分が知った、気づいた知識とかを悪の心の霊人にたちに言ってもまったく通用しなくて、相手は私をたいしたことない女だと思っているからちゃんとしたことを言っても通用しないんです。

「過去世で何度もシスターをやってイエスさまの妻の人生を歩んだことがある者です!
イエスの妻だったことがある者をレイプした罪は最大に重いことを肝に命じなさい!
私の(心の)恋人はイエスさまです!
私の最高の人はイエスさまです!」

と怒鳴ってやっと悪の霊人が大人しくなって、左手は今でも自転車に乗っても性的快感は感じないですし、
その邪悪な笑いをして首を絞めるしぐさをしてきて胸が圧迫されたおじさんも、不動明王真言とイエスさまとブルーノ・グルーニングさんと大天使ミカエルさまという聖者の名前を出して助けを求めたら去って行った・・・

私という個人はちゃんとしたことを言ってもエゴで利己的で悪の心の人には、肉体を持つ人でも霊人でもまったく通用しないので、相手が打ち勝てない神さまをバックボーンにつけている相手が舐めることができない聖者に助けてもらわないとダメでした。

だから、どうしても絶対的な存在が私には必要だと思いました。
●●●●←本名(しおんえつこ)という私ごときでは、どうがんばっても通用しなくてどうにもならないからです。

でも、守護霊さまも守護天使さまも頭上に来ていらっしゃるという観音様(慈悲のエネルギー)も、攻撃の霊的現象から守ってくださらないことがあったので、それでもまだこれくらいの数で済んでいるところを見ると、やっぱり光の存在の方がそばにいてくださったからこの程度で済んでいるんだと思います。」

と友達Aさんに伝えましたところ、聖書系団体の元信者さんであったAさんがこのことについてキリスト教の聖書の教えから考えてくださって、似たようなことが聖書に書いてあるということについて、この間、別の記事にも書きましたが、

「イエスさまが修行中に、悪魔によって誘惑に晒された時に、「サタンよ去れ」と言った、みたいな内容が書いてあり、イエスさまは誘惑に負けませんでしたが、誘惑するサタンを追い払うことはすぐにはできず、やはり時間がかかっていたようにも読み取れます。

神さまの息子がイエスさま、その下に居た2大天使がミカエルとルシフェルでルシフェルが堕天使となりサタン(魔王)になったので、つまりサタンはとても優秀でなかなか手に負えないのでしょうね。

キリスト教は、人が悪い事をするときは悪魔の誘惑に負けているとき。という考え方です。例えば●●さんの人の気持ちを考えないところも、悪魔のそそのかしに負けているからと解釈します。だからここにイエスさまがいたら、●●さんではなく、●●さんの後ろにいるサタンに「去れ」と言うのだと思います。」

この言葉で私は「それだと肉体を持った誰かが悪の心を働かせて私にしてきた時でも、悪の心の霊人が私に何かをしてきた時でも、私がエクソシストができないとならないのですが、私はエクソシストなんてできないし、今世で悪事を働いた罪の十字架を背負っている私では通用しないです」

と友達Aさんに伝えたのですが、Aさんが『悪魔の誘惑』について、私に接してきたある男性Bさんの私への言動をサンプルに教えてくださいました。

「キリスト教的に言うと、神様はその人に応じてチャレンジを与えるというけど、悪魔はそのチャレンジを悪用するのかもしれませんね。

男性Bさん(何度もサンプルにして申し訳ないですが^_^;)が、母親の偏った人格で辛い思いをした、というのが神のチャレンジとしたら、そこにつけこんで「可哀想な自分を女性に売り込んで誘惑しなさい」というのが悪魔だと思うのです。

キリスト教だと、シオンさんの場合、霊的なレイプというのは悪魔の誘惑でもあると思います。修道士などに対する性の誘惑はとてもキツイと言うし。霊的レイプに遭っても堕落してないので、誘惑には勝ってるって事でしょうか。」

と・・・

この言葉で私は「あっ」と思いました。

1999年頃、私はアルバイト先に好きな男性Cさんがいたのですが、その男性はキリスト教徒の方だったのですが、私はキリスト教の教えのことを知らなかったので、その男性Cさんに、子ども時代に親の虐待で辛い思いをしたことでなぐさめていただこうと、過去の辛い話をし始めたら、男性Cさんがすぐに「あ、おいらちょっと。」とパッとその場を離れてどこかへ行ってしまったのです。

その時、私は、「この人も私をなぐさめてくれないんだ。辛い思いをわかってくれない人なんだ。」と思ったものの、とても強いCさんへの『好き』という感情によって、「Cさんは私を幸せにしたいという気持ちのない人である」ことについてしっかりよく考えなかったのですが、

友達Aさんの『悪魔の誘惑』の話によって、男性Cさんは、私が子ども時代の辛い体験の話をし始めた時に、男性Cさんは、

「「可哀想な自分を男性に売り込んで誘惑しなさい」と悪魔がシオンさんを誘惑してシオンさんは悪魔にそそのかされているから、おいら、これは相手にしない。」

と思ってパッとその場を去って行ってしまった、ということなのだと思います。

私は友達Aさんにこの男性Cさんの話をして、こうメールしました。

「それだと、キリスト教徒の方をパートナーにしても、いたわられたい、なぐさめてほしい、という世の女性たちは望みが叶わなくて不満や疑問を抱くのだろうと思います。」

これは男性でも会社でのことの愚痴を妻に聴いてほしい、そして自分を慰めてほしい、癒してほしいと思っていますから、女性に限った話ではありませんね。

友達Aさんは私のこの言葉を聴いて「あっ」と思ったそうです。

キリスト教は「神様はあなたを愛してます」と「自分を愛するように隣人を愛せ」はあるけど、「人に愛してもらいなさい」がない!
そういえば、「欲しがってはいけない」という宗教でした。良いのか悪いのか分からないけど。」

とおっしゃったので、私は、

私:
「キリスト教では「人に愛してもらいなさい」がない・・・!?
(@0@;)
考え方としては、「自分を愛するように隣人を愛する」だから、こちらからこうしてほしいと求めない、つまり「欲しがらなくても」、お互いが「隣人を愛する」行動言動をするため、

「愛してもらおうとしなくても愛されることが与えられる」ことになるから・・・?

ただ、よくカップルの悩みの記事を見たりすると、

「相手がどうしてほしいかを考えていなくて、こうしたら相手は喜んでくれるだろう]」

という、自分本位な愛を与えていて、それで相手が喜ぶと思っているからうまくいかないんですよということで、

「こうしてくれると嬉しいな」

と相手に言わないと相手はわからないから、

「どうしてくれたら自分は嬉しいのか」

を相手に言うことです、
という回答を見たことがあります。」

と友達Aさんに伝えたら、Aさんからのお返事は、キリスト教は「自分を愛するように」と言ってるので、欲求を持ったり、欲求を叶える為に行動するのは○(まる)なんだとのこと、

だけれど、「むさぼってはならない」とも言ってるので、欲求を持つことについては「バランスが大切」なんだろうとのこと・・・

その自分の欲求を満たすことにおいて、他者との関係のバランスをうまくするためには、

相手にも自我や、自分を愛する権利があると分かってないといけない

ということ・・・

「当たり前の事ですが、これを分かってない人が多いと思います。」

とAさんはおっしゃって、確かに私の人間関係でも、お互いのニーズが一致し続けていたと思われる相手Dさんとの関係ではずいぶん長年、Dさんがシオンで自分の心を満たしたかっただけなのだという、心の絆なんて築けていない、相手がどんな価値観をいろいろと持っているかを話し合ってもいない希薄な関係である事に長年気づかなくて、Dさんのことを良い友達なんだ、この人は心が綺麗な善人なんだと思っていた関係だったのですが、結局その人もいかに自分に都合よくシオンを利用して自分が満足を得るかの人で、その他の人だとAさんと特上ひつまぶしのDさん以外は、相手がこれをわかってくださっていないんだなという人間関係でした。

「自分の自我を大切にしながら、相手の自我を大切にするのは、すごくバランス感覚や自制心がいると思うので、聖句も「自分を愛する」ができてから、段々と隣人を愛せるようになりなさいと言ってるのでしょうね。」

とAさんがおっしゃっていますが、ですが間違えてはいけないのは、「自分を愛する」ができるというのが、

「『自分を愛する』なんだから私は自分を愛するために自分の欲求を満たしたいの。
だから自分の欲求を満たすためにはあなたにやってもらうことで満たされるのよ。
私が私を愛するために、あなたやってよ。やるのが当然でしょ。」

ではダメだということですね。

悪魔の誘惑に私たちは晒されているということも含めて、特に分離意識を持っている他者と関わる場合はかなり厳しく自分の心を律しないと悪魔の誘惑には打ち勝てないということなんだろうということになりますし、

先日記事に書いた、

「相手を自分の都合の良い奴隷(自分が支配していい相手)にしていたら相手からは決して愛されませんよ。(好かれませんよ)」

ということに繋がってきますね。

友達Aさんに今までのあきらかにこの人の私への行動言動はおかしい、ということについてメールで告白して伝えていたのですが、Aさんがこの「自分を愛するように隣人を愛しなさい」のことで、

「シオンさんもそう思って、隣人を愛して頑張ってきたんですよね。
ところが、その隣人はシオンさんの愛に対して、「むさぼり」で答えてきた……。」

ということをおっしゃられて、そして私が先日記事に書いた「私って奴隷扱いされていたんじゃないか?」についての記事で、Aさんも奴隷について思うことはあるそうです。

とにかく、私がどんなに人生体験で辛い目にあってきて、心についての勉強やスピリチュアルなことの勉強をし続けてエネルギーヒーリングに取り組み続けてそれによって心の境涯の変化における気づきがあったことで知ったことがあっても、それらの知識は悪の心のパーセンテージが高い人や「私が一番偉い!」という傲慢で高慢でプライドが高い尊大な心を持つ「違う宇宙」を生きている人には通用せず、

相手は、肉体を持っていない悪の心の霊人に至ってまで、私のことを「舐めてかかっていい自分の都合の良い存在にしていい相手」に見られてしまうので、そういう相手を私ではどうすることもできず、それゆえに神さまやイエスさまたち聖なる光の存在にお願いして、奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんにお願いして、私とその相手の結局は愛情飢餓である心の救済のためのアインシュテレンをし続けるしかないと、

神さま(創造主さま。大いなる神さま、外神さま)という私たちの上に絶対的に君臨している『絶対者』である方の御力添えが私には必要だと、私が得た知識も私という存在エネルギーも、私という宇宙(世界。人生)での人間関係でさほど力を発揮しないのだと、痛感しているところでございます。

関連記事
スポンサーサイト